
第1章:異例の声明
※この記録は、後に「初期同期事例」として分類されたものである。
対象個体:複数。
自覚症状:なし。
その日、世界は静かに、しかし確実に軌道を外れ始めていた。
夜の東京は、いつもと変わらぬ光に包まれていたはずだった。ネオンが街路を染め、無数の人々がそれぞれの目的地へと急ぐ。だが、その均衡の取れた日常の奥底には、言葉にしがたい違和感がゆっくりと広がっていた。
主人公・神谷泰孝(かみや やすたか)、三十二歳。IT企業に勤めるシステムエンジニアであり、日々は単調だが安定していた。彼は帰宅途中の地下鉄車内で、無意識にスマートフォンの画面を見つめていた。
ふと顔を上げると、異様な光景が広がっていた。
車内のほぼすべての乗客が、スマートフォンに視線を落としている。誰一人として窓の外を見ていない。会話もほとんどない。ただ、指だけが忙しなく画面を滑り続けている。
その静寂は、いつもの通勤電車のそれとは明らかに違っていた。
まるで全員が、同じ“何か”に吸い寄せられているようだった。
泰孝の画面にも、同じ情報が流れていた。
「天皇が声明を出した」
最初はデマだと思った。しかし、あまりにも広がりが早い。SNS、ニュース、動画、すべてが同じ方向を向いている。その異様な一致が、現実であることを否定できなくさせていた。
やがて、映像が流れる。
厳かな空間。静寂の中で語られる言葉。
「靖国参拝が長期間にわたり実現できなかったことを、本日、現実のものとすることができました。そのことを、国民すべての皆様に、深く感謝いたします。」
誰もが理解していた。
これは、ただのニュースではない。
何かが、決定的に変わろうとしている。その瞬間、空気が揺れた。
誰かが、小さく呟いた。
「……すげー」
別の場所から声が上がる。
「この日を待っていたんだよ……」
「えーッ!マジかよ…」
鼻をすする音が聞こえた。涙ぐみながら画面を見つめる者もいる。隣同士で顔を寄せ合い、何かを確認し合う者たち。信じられないという表情と、確信に満ちた表情が混ざり合っていた。
一人の若い男が、突然立ち上がった。
「よっしゃ……!」
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