中国共産党と日本の真実 ――友好という幻想、依存という現実――
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中国共産党と日本の真実 ――友好という幻想、依存という現実――

鹿島公胤

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第1章 分裂する中華と「置き去りにされた島」

1-1 1949年の地殻変動

1949年10月1日、秋晴れの北京・天安門広場。見渡す限りの群衆を前に、城楼に立った毛沢東は「中国人民は立ち上がった」と高らかに宣言し、中華人民共和国の成立を世界に告げた。数百万人の兵士と市民が血を流した国共内戦が、ついに決着を迎えた瞬間である。

毛沢東率いる中国共産党が大陸全土を掌握する一方、敗れた蒋介石率いる中華民国政府は、敗残兵や官僚、そして紫禁城から運び出した莫大な国宝(現在の台北故宮博物院の収蔵品)とともに台湾島へと逃れた。ここに、ひとつの民族・国家が事実上ふたつに分裂した「二つの中国」という不連続線が生まれた。

当時の世界は、アメリカを中心とする資本主義陣営とソ連を中心とする共産主義陣営による冷戦へと急旋回していた。アジア大陸全土を共産主義勢力が制したという事実は、ワシントンの指導層に強烈な危機感を与え、「赤化の波」が太平洋へ押し寄せる恐怖として受け止められた。大陸の共産党政権と台湾に逃れた国民党政権、二つの「正統な中国」を主張する政権に挟まれた東アジアの地政学は、極めて流動的で危険な状態に突入した。

日本にとって、この変化は重大だった。すぐ西には中国大陸、南西には台湾があり、しかも1949年以降はその双方が中国の正統性を主張するという状況が生まれた。日本は「どちらを中国として扱うのか」という外交上の難問を、先の大戦で中国と戦ったという歴史を抱えたまま突きつけられることになる。戦後日本外交には、中国との戦争責任、アメリカとの同盟、台湾との関係、中国大陸との関係、冷戦下の共産主義への対応という複数の問題が同時に存在していたのである。

【KASSIの考察】

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