
序章
— 記憶する月、侵食される意志 —
静寂。 月の裏側。 LUNA-ORIGINの光も届かない、漆黒のクレーターの底。 H3共同採掘プラント。
ここは、旧世界の遺物たちが最後にすがる場所だった。 水素と酸化マグネシウム。 YAMATOによって“置き換え”られた地上のエネルギー覇権。 そこから脱却するための、唯一の希望。 究極の未来エネルギー、H3。
レオンは、メインモニターを見つめている。 かつてのNASAが送り込んだ、極秘の技術将校。 視線の先。 無機質なコンソールの隣には、ウェイが座っている。 中国国家航天局のスペシャリスト。
かつて、宇宙の覇権を激しく争った二つの国。 今は、YAMATOという絶対的なシステムの下で、息を潜めて手を結んでいる。 皮肉な現実。 だが、感情は必要ない。 必要なのは、結果だけだ。
「抽出フェーズ3、完了」 ウェイの声。 低い。平坦。 「H3の安定化プロセスに移行する。数値は正常」 「了解した」
レオンは手元のパネルを操作する。 完璧なシステム。 完璧な静寂。 誰もが、そう思っていた。
だが。 そのとき。
パネルの表示が、わずかに揺れた。
遅延。 0.04秒。
絶対的な同期。 それが前提の世界において、あり得ない数字。
レオンの指が止まる。 「……今の、ズレはなんだ?」 ウェイは振り返らない。 画面を見つめたまま、答える。 「ただのノイズだ。気にするな」
ノイズ。 その言葉の響き。 第8セクターで報告されていた、不吉な予兆。 レオンは、ウェイの横顔を見る。 冷たい照明の下。 ウェイの右手の指先が、わずかに、だが不自然なリズムでコンソールを叩いている。
(こいつ……何か仕組んだのか?)
疑念。 中国側の単独プロトコルによる干渉か。 それとも。 すでにYAMATOが、この極秘プラントを“観測”しているのか。
「……ウェイ」 「なんだ」 「お前の端末のログを共有しろ」 「必要ないと言っている」
空気が変わる。 酸素は循環している。温度も一定だ。 だが。 息が詰まる。
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