
第1章「LGBT ― 法律は誰のためにあるのか」
世界には、同じ人間でありながら「愛し方」ひとつで扱いが変わる場所が存在する。ある国では同性同士で手をつなぐだけで犯罪とされ、別の国では同性婚が国家によって祝福される。まるで地球そのものが、見えない線で価値観を切り分けているかのようだ。ここで一つ問いが浮かぶ。「正しさ」とは法律が決めるものなのか、それとも人間の内側にあるものなのか。この章では、その揺らぎをあえて直視していく。
たとえば、同性婚が認められている国では「愛は自由であるべきだ」という理念が社会の土台になっている。一方で、それを認めない国では宗教や伝統が強く影響し、「社会秩序を守るためのルール」として法が存在している。どちらもそれぞれの国にとっては“正義”として機能している点が厄介だ。つまり、法律とは絶対的なものではなく、その国の歴史や恐れや願望が凝縮された“意思の結晶”に近い。
ここで日本に目を向けると、奇妙な立ち位置が浮かび上がる。表面的には寛容でありながら、制度としては明確に認めていない部分も多い。差別は禁止されるべきだという空気はあるが、積極的に権利を保障する仕組みはまだ発展途上だ。この“曖昧さ”は、日本特有のバランス感覚とも言えるし、問題を先送りしているとも言える。ではそれは本当に中立なのか、それとも見て見ぬふりなのか。
さらに踏み込むと、LGBTに関する法律は単なる権利問題にとどまらない。教育、医療、雇用、家族制度など、社会のあらゆる層に波紋を広げるテーマだ。ある国では子どもへの教育内容が厳しく制限され、別の国では多様性教育が義務化されている。この違いは単なる政策の違いではなく、「未来の社会をどう設計するか」という国家の意思そのものだ。法律は今を規制するだけでなく、未来の常識を作る装置でもある。
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