老いたる素戔嗚尊
本文約11,600字 ・ 読了時間 約24分
あらすじ(AIが作成しました)
高志の大蛇を退治し須賀の地を治める素戔嗚は、最愛の妻との死別後、娘の須世理姫と共に海辺の島で静かに暮らす。ある日、島へやって来た若者・葦原醜男に対し、かつての荒々しい野性を呼び覚ました彼は、試練を与えようとする。やがて葦原醜男が須世理姫を連れて島を脱出すると、素戔嗚は自ら彼らを追い、強さと知恵を磨いて自分よりも幸福になるよう祝福の言葉をかける。神としての威厳と孤独を抱える老いた英雄の姿を描く。
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一
高志の大蛇を退治した素戔嗚は、櫛名田姫を娶ると同時に、足名椎が治めてゐた部落の長となる事になつた。
足名椎は彼等夫婦の為に、出雲の須賀へ八広殿を建てた。宮は千木が天雲に隠れる程大きな建築であつた。
彼は新しい妻と共に、静な朝夕を送り始めた。風の声も浪の水沫も、或は夜空の星の光も今は再彼を誘つて、広漠とした太古の天地に、さまよはせる事は出来なくなつた。既に父とならうとしてゐた彼は、この宮の太い棟木の下に、――赤と白とに狩の図を描いた、彼の部屋の四壁の内に、高天原の国が与へなかつた炉辺の幸福を見出したのであつた。
彼等は一しよに食事をしたり、未来の計画を話し合つたりした。時々は宮のまはりにある、柏の林に歩みを運んで、その小さな花房の地に落ちたのを踏みながら、夢のやうな小鳥の啼く声に、耳を傾ける事もあつた。彼は妻に優しかつた。声にも、身ぶりにも、眼の中にも、昔のやうな荒々しさは、二度と影さえも現さなかつた。
しかし稀に夢の中では、暗黒に蠢く怪物や、見えない手の揮ふ剣の光が、もう一度彼を殺伐な争闘の心につれて行つた。が、何時も眼がさめると、彼はすぐ妻の事や部落の事を思ひ出す程、綺麗にその夢を忘れてゐた。
間もなく彼等は父母になつた。彼はその生れた男の子に、八島士奴美と云ふ名を与へた。八島士奴美は彼よりも、女親の櫛名田姫に似た、気立ての美しい男であつた。
月日は川のやうに流れて行つた。
その間に彼は何人かの妻を娶つて、更に多くの子の父になつた。それらの子は皆人となると、彼の命ずる儘に兵士を率ゐて、国々の部落を従へに行つた。
彼の名は子孫の殖えると共に、次第に遠くまで伝はつて行つた。国々の部落は彼のもとへ、続々と貢を奉りに来た。それらの貢を運ぶ舟は、絹や毛革や玉と共に、須賀の宮を仰ぎに来る国々の民をも乗せてゐた。