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TORENDIA

真田幸村

本文約13,400字 ・ 読了時間 約27分

あらすじ(AIが作成しました)

真田幸村は、父昌幸の代から徳川家と対立し、豊臣家に恩顧を抱く武士として大阪陣へ臨む。関ヶ原の戦いでの父子分断を経て、大阪城にて「真田丸」を築き徳川の大軍と激闘を繰り広げる。徳川側からの度重なる勧誘を退け、秀頼のために戦い抜くその生き様と、最期の戦場である天王寺での壮絶な戦死を描く。父子代々の知略と徳川への対抗心、そして豊臣家への忠義に生きた姿を、諸説や伝承を交えて辿る。

菊池寛

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真田対徳川

真田幸村の名前は、色々説あり、兄の信幸は「我弟実名は武田信玄の舎弟典厩と同じ名にて字も同じ」と云っているから信繁と云ったことは、確である。

『真田家古老物語』の著者桃井友直は「按ずるに初は、信繁と称し、中頃幸重、後に信賀と称せられしものなり」と云っている。

大阪陣前後には、幸村と云ったのだと思うが、『常山紀談』の著者などは、信仍と書いている。これで見ると、徳川時代には信仍で通ったのかも知れない。しかし、とにかく幸村と云う名前が、徳川時代の大衆文学者に採用されたため、この名前が圧倒的に有名になったのだろう。

むかし、姓名判断などは、なかったのであるが、幸村ほど智才秀れしものは時に際し事に触れて、いろいろ名前を替えたのだろう。

真田は、信濃の名族海野小太郎の末胤で、相当な名族で、祖父の幸隆の時武田に仕えたが、この幸隆が反間を用いるに妙を得た智将である。真田三代記と云うが、この幸隆と幸村の子の大助を加えて、四代記にしてもいい位である。

一体真田幸村が、豊臣家恩顧の武士と云うべきでもないのに、何故秀頼のために華々しき戦死を遂げたかと云うのに、恐らく父の昌幸以来、徳川家といろいろ意地が重っているのである。

上州の沼田は、利根川の上流が、片品川と相会する所にあり、右に利根川左に片品川を控えた要害無双の地であるが、関東管領家が亡びた後、真田が自力を以て、切り取った土地である。

武田亡びた後、真田は仮に徳川に従っていたが、家康が北条と媾和する時、北条側の要求に依って、沼田を北条側へ渡すことになり、家康は真田に沼田を北条へ渡してくれ、その代りお前には上田をやると云った。

所が、昌幸は、上田は信玄以来真田の居所であり、何にも徳川から貰う筋合はない。その上、沼田はわが鋒を以て、取った土地である。故なく人に与えんこと叶わずと云って、家康の要求を断り、ひそかに秀吉に使を出して、属すべき由云い送った。天正十三年の事である。

家康怒って、大久保忠世、鳥居元忠、井伊直政等に攻めさせた。

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