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TORENDIA

明治二十四、五年頃の東京文科大学選科

本文約2,500字 ・ 読了時間 約5分

あらすじ(AIが作成しました)

明治二十四、五年頃の東京文科大学における選科生としての体験を綴る。入学当時の水道橋や本郷周辺の情景や、煉瓦造りの法文科大学校舎の様子を回想する。また、当時の選科生が置かれていた差別的な待遇や、図書室の利用制限、感傷的な心情を吐露する。さらに、ブッセやケーベルといった教授陣の講義風景や、同級生である岩本禎との記憶を辿り、孤独な学生生活の中で独自の思索に耽った日々を描く。

西田幾多郎

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🎧 明治二十四、五年頃の東京文科大学選科 / 朗読音声: VOICEVOX:波音リツ

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私共が故郷の金沢から始めて東京に出た頃は、水道橋から砲兵工廠辺はまだ淋しい所であった。焼鳥の屋台店などがあって、人力車夫が客待をしていた。春日町辺の本郷側のの下には水田があって蛙が鳴いていた。本郷でも、大学の前から駒込の方へ少し行けば、もう町はずれにて、砂煙の中に多くの肥車に逢うた。

その頃には、今の大学の正門の所に粗末な木の門があった。竜岡町の方が正門であって、そこは正門ではなかったらしい。そこから入ると、すぐ今は震災で全く跡方もなくなった法文科大学の建物があった。それは青山御所を建てたコンドルという英人が建てたとか、あまり大きくもない煉瓦の建物であったが、当時の法文科はその一つの建物の中に納っていたのである。しかもその二階は図書室と学長室などがあって、太いズボンをつけた外山さんが、鍵をがちゃつかしながら、よく学長室に出入せられるのを見た。法文の教室は下だけで、間に合うていたのである。当時の選科生というものは、誠にみじめなものであった。無論、学校の立場からして当然のことでもあったろうが、選科生というものは非常な差別待遇を受けていたものであった。今いった如く、二階が図書室になっていて、その中央の大きな室が閲覧室になっていた。しかし選科生はその閲覧室で読書することがならないで、廊下に並べてあった机で読書することになっていた。三年になると、本科生は書庫の中に入って書物を検索することができたが、選科生には無論そんなことは許されなかった。それから僻目かも知れないが、先生を訪問しても、先生によっては閾が高いように思われた。私は少し前まで、高校で一緒にいた同窓生と、忽ちかけ離れた待遇の下に置かれるようになったので、少からず感傷的な私の心を傷つけられた。三年の間を、隅の方に小さくなって過した。しかしまた一方には何事にも促らわれず、自由に自分の好む勉強ができるので、内に自ら楽むものがあった。超然として自ら矜持する所のものを有っていた。私の頃は高校ではドイツ語を少ししかやらなかったので、最初の一年は主として英語の注釈の附いたドイツ文学の書を読んだ。

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