詩と官能
本文約2,200字 ・ 読了時間 約5分
あらすじ(AIが作成しました)
明るい食堂でライターの火を灯した瞬間に生じる幻覚や、過去の食事の記録を通じて記憶をたどる自身の経験を綴る。詩的感興と肉体的な生理的機能や官能との密接な関係を考察し、科学者と詩人の気質の類似性を指摘する。著者の実体験に基づきながら、精神的要素と具象的要素という詩の型の違いを論じ、表現の段階について独自の視点を提示する随筆である。
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一
清楚な感じのする食堂で窓から降りそそぐ正午の空の光を浴びながらひとり静かに食事をして最後にサーヴされたコーヒーに砂糖をそっと入れ、さじでゆるやかにかき交ぜておいて一口だけすする。それから上着の右のかくしから一本煙草を出して軽くくわえる。それからチョッキのかくしからライターをぬき出して顔の正面の「明視の距離」に持って来ておいてパチリと火ぶたを切る。すると小さな炎が明るい部屋の陽光にけおされて鈍く透明にともる。その薄明の中に、きわめて細かい星くずのような点々が燦爛として青白く輝く、輝いたかと思った瞬間にはもう消えてしまっている。
この星のような光を見る瞬間に突然不思議な幻覚に襲われることがしばしばある。それはちょっと言葉で表わすことのむつかしい夢のようなものであるが、たとえば、深く降り積もった雪の中に一本大きなクリスマス・トリーが立っていてそれに、無数の蝋燭がともり、それが樅の枝々につるしたいろいろの飾りものに映ってきらめいている。紫紺色に寒々とさえた空には星がいっぱいに銀砂子のように散らばっている。町の音楽隊がセレナーデを奏して通るのを高い窓からグレーチヘンが見おろしている、といったようなきわめて甘いたわいのない子供らしい夢の中からあらゆる具体的な表象を全部抜き去ったときに残るであろうと思われるような、全く形態のない幻想のようなものである。
天気が悪かったり、食堂がきたなかったり、騒がしかったり、また食事がまずいような場合には、同じライターの同じ炎の中に同じような星が輝いても決してこうした幻覚が起こらないから不思議である。
胃の腑の適当な充血と消化液の分泌、それから眼底網膜に映ずる適当な光像の刺激の系列、そんなものの複合作用から生じた一種特別な刺激が大脳に伝わって、そこでこうした特殊の幻覚を起こすのではないかと想像される。「胃の腑」と「詩」との間にはまだだれも知らないような複雑微妙の多様な関係がかくされているのではないかと思われる。
二