リアルな方法とは
本文約1,200字 ・ 読了時間 約3分
あらすじ(AIが作成しました)
科学者が語る植物分類の新手法を題材に、文学におけるリアリズムの本質を論じる。目に見える外観の模写に留まらず、対象の内部や社会生活との有機的な関わりに踏み込む必要性を説く。人間を単なる本能の存在としてではなく、社会の中で意志を持ち、分類の枠組みから跳躍する力を持つ存在として捉える。この人間性への具体的な迫真を試みることこそが、リアリズムを自然主義から脱却させ、新たな文学の展開を可能にすると提示する評論である。
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ついこの頃、科学の仕事をしている友人から大変興味のある話をきいた。それは植物の分類に関することで、従来の分類は、目で見えるだけの葉っぱの形、花の形、実の工合などが目安でされていた。鋸状の葉っぱは葉っぱの目に見えるその特徴によって、他の鋸状の葉っぱをもつ樹との類似を見られて分類の条件とされていた。ところが最近の植物の分類の方法は進歩して来て、只そうやって肉眼で見える形の上での類似などばかりにたよらず、もっとその植物の生存の本質的な点、例えば或る葉が一定の光の下でその葉緑素にどんな変化をおこすかという点にふれて観察して、その有機作用の共通性で、植物の分類をするようになって来たというのである。だから、昔の、目で見較べたばかりの分類より、もっと各植物の生活の内部に直接ふれて観察が行われてゆくわけである。
この自然科学の一新面の話が、ひどく面白く思われるのは、文学のリアリズムの問題がすぐ思い浮ぶからであった。リアリズムへの疑問というようなものは、これまでの文学の歴史のなかでも様々な時代に様々な社会層の心情の反映として表明されて来ていると思う。今日もやはり一部にはリアリズムへの反撥が存在していて、その原因は社会的にも心理的にも単純ではないと思える。リアリズムにあき足らず思う感情の根には、いつも、現実をそのまま写したって、という不満が強く蠢いている。それに対してリアリズムを芸術の正道と信じている人々は、何も写実が今日のリアリズムではないと迄は云うけれど、では、どういうのが目ざされているリアリズムかというと、それを短くはっきり定義づけることには困難が感じられているようだ。