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TORENDIA

小鈴

本文約1,500字 ・ 読了時間 約3分

あらすじ(AIが作成しました)

三十三歳を迎える弟の妻を想い、厄年という風習や今日の女性が直面する生活環境の変化について綴る。家事や日常の忙しさに追われる中、厄除けの呪文のような古い価値観が現代では無効化されていると考察する。銀座で小さな鈴を見つけた著者は、勤勉に生きる義妹へのささやかな贈り物としてその鈴を選び、女性が迎える年齢に伴う人生の転換点や、現代社会で生きる主婦の心情に想いを馳せる。

宮本百合子

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🎧 小鈴 / 朗読音声: VOICEVOX:もち子さん

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弟の家内が今年の正月で三十三を迎えた。三十三は女の厄年といわれている。

厄年というものを迷信的に考えはしないけれど、たとえば女の子の十六歳、十九歳などという年齢を、何か意味あるけじめのように見ることは、その年頃の生理やそれにつれて激しく動く感情の波立ちから、全然根拠が無いとも思われない。三十三という年ごろも、女の生涯からみれば、何かそこに配偶の年や生活環境ということからもかかわって来る様々の変化が予想されないものでもないのかもしれない。日本のしきたりでは、良人と妻とは七つ八つ年が違うのが普通だから、その年ごろの妻たちは大体四十前位の良人をもっているわけで、男の人たちの社会へ向う心持、事業に向う心持、異性に向う心持は、やはり四十歳ごろ一つの変転を経るのが一般らしい。三十三が女の大厄と昔のひとの云ったのは、案外そこいらの機微にふれているのかとも思う。

昔の生活の輪は女にとってきびしくとも小さかったから、その頃の三十三の女のひとたちは、自分の身一つの厄除けを家運長久とともに、神へでも願をかけ、何かの禁厭をして、その年を平安に送ることに心がけたのだろう。

暮になったとき柔和な顔を忙しさで上気させている弟の家内の日頃の姿を目に浮かべ、私は何を三十三のお祝にやったらいいだろうと考えながら銀座を歩いた。

私が十九の時母は紅白の鱗形の襦袢の袖を着せた。三十三もやっぱり鱗なのかしら。私の三十三歳の一年などというものは、はたも自分もそんなことを思うどころでない朝夕の動きの間で過ぎたのであったが、もし本気で厄除けなどを考えだしたら、今年のような世の中を凌ぐ主婦たちに、どんな禁厭が利くというのだろう。それを思うと、今日では女の身の上にも昔の厄の呪文のような輪なんか、とうにもっと大きいものの中にふっ飛ばされてしまっていることが痛切に感じられて、面白く愉快な気持がした。

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