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TORENDIA

夫婦が作家である場合

本文約3,900字 ・ 読了時間 約8分

あらすじ(AIが作成しました)

田村俊子や佐佐木茂索夫妻らの事例を通じ、作家同士の夫婦が抱える生活感情の相剋や文学的葛藤を論じる。著者は、ブルジョア作家間での個人的な対立とは異なり、プロレタリア作家夫婦が直面する社会的な階級的重圧や、夫と妻の文学の本質に対する解釈の乖離を指摘する。さらに、ヴァージニア・ウルフの「自分の部屋」という言葉を象徴的な表現と捉え、日本の婦人作家が日常的・物理的な生活条件の制約の中で創作を続ける困難さとその発展的課題を考察する。

宮本百合子

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🎧 夫婦が作家である場合 / 朗読音声: VOICEVOX:もち子さん

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よほど以前のことになるが田村俊子氏の小説で、二人とも小説をかくことを仕事としている夫婦の生活があつかわれているものがあった。筋や、そのほかのことについてはもう思い出せないのであるが、今も焙きついた記憶となって私の心にのこっている一場面がある。何か夫婦の間の感情が気まずい或る日、妻である婦人作家が二階の机の前で小説が進まず苦心していると、良人である男の作家がのしのし上って来て、傍から、何だ! そんなことじゃ先が見えてる。僕なんか三十枚ぐらいのものなら一晩で書くぞという意味の厭がらせを云って、妻の作家の苦しい心持を抉るようにする。しかも、良人である作家は、その時もう創作が出来ないような生活の気分に陥っているのが実際の有様であったというようないきさつが、田村氏独特の脂のつよい筆致で描かれているのであった。

私は、その小説を読んだ時、二十前後であったと思うが、深刻な感銘をうけた。自分の女としての一生についても考え、いつかしらぼんやり感じていたことを改めてはっきり、自分は決して作家を良人には持つまいと心にきめたのであった。

それから後、又何程か経って、女の作家として私の持つその考えを更に内容的に多様化し確めるような一組の作家夫婦を見た。いずれも文学的公人であるから名をあげることをも許されると信じるが、その夫婦は佐佐木茂索氏夫妻である。

何かの折佐佐木茂索氏とふさ夫人とが題材としては小さい一つの題材を二人両様に扱って書いたところ、(或は書こうとしたところ)その扱いかたの腕では、茂索氏が勝ったとか、ふさ夫人がまけたとか、単に二人をかけ合わすのが面白いというような対比のしかたでゴシップにのぼったことがあった。

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