未開の花
本文約3,000字 ・ 読了時間 約7分
あらすじ(AIが作成しました)
日本の若い女性の間で囁かれる「結婚はしたくないが、子供は欲しい」という意見を端緒に、女性が社会の慣習や結婚という形式に対して抱く抗議の心情を考察する評論。ロマン・ローランの『魅せられた魂』やアンドレ・ジイドの『未完の告白』に登場する女性像を比較分析し、現代における結婚生活の偽善性や、母性の神秘化に潜む問題点を論じる。女性が個として成熟し真の自由を獲得する道を、文学的洞察を通じて問い直す。
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家中寝鎮まったものと思って足音を忍ばせ、そーッと階下へおりて行ったら、茶の間に灯がついていて、そこに従弟が一人中腰で茶を飲んでいた。どうしたの今時分まで、というと、鼠退治さ。栗のいがってどこにあるんだい。さア、私も知らないけど。そう答える私は元禄袖のどてら姿、従弟はその辺にあった膝掛けを洋服の上から羽織った恰好で、お茶を注ぎ、寝ようよ寝ようよと云いながらつい話が弾んで明方近くになってしまった。
若いサラリーマンである従弟の話の中に、この頃の若い女のひとで結婚はしたくないが子供だけは欲しいって云うのが随分あるねということがあった。或る気質の女のひとが男などと話しているときの一つの姿態としてそういう表現でものを云うようなことも少なくはないであろう。女のそういう時の本当の心持、うその心持の綯い交る状態を寧ろ面白く思ってきいたのであった。
そのことはそれきり忘れていて、先晩、ある会で婦人の評論家にあった。中心の話題は文学のことであったが、偶然向い合わせに坐ったそのひとは、ねえ、あなたはどう思いますと、若い女のひとの中に結婚はいやだが子供は欲しいと云う人があることについて話すのであった。その席では、まわりとの関係でそのまま発展されずに終ったが、私の心の中に言葉は活々とのこされた。何故なら、私は前にも自分が同じことを従弟からきいたことを鮮明に思い出したから、そして、探究心を刺戟されることを感じた。
日本の若い女のひとの間にあるその心持というのは、本気かしら。本気ならば、何故彼女たちの感情はそういう形をもって女の新しい生活への要求を表現するのであろうか。そこには様々のものが錯綜している、そう感じられるのであった。