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TORENDIA

商品としての近代小説

本文約5,500字 ・ 読了時間 約12分

あらすじ(AIが作成しました)

文学作品の大衆性を巡る問題を、芸術的価値とは別個の「商業的価値」の観点から論じる。近代小説が多くの読者に受け入れられる背景には、実生活の困難からの逃避や慰安を求める大衆の欲求が存在し、出版商業主義がその性質を決定づけていると指摘する。また、ベストセラーとなる作品には、作者の誠実さ、筋立ての良さ、ハッピーエンド、物語の長さなど、特定の商業的条件が備わっていることを分析し、文学の商品化という現象について考察を収める。

平林初之輔

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🎧 商品としての近代小説 / 朗読音声: VOICEVOX:青山龍星

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一

文学作品の大衆性の問題は、ルナチヤルスキイ等がいふやうに、文学作品の形式の問題に止まるであらうか? 更に進んでは、これは文学そのものに内在する問題であらうか? そして或る作品が大衆性を有するといふこと自体が、その作品の何か非常に望ましき芸術的なメリツト若しくは価値であるだらうか?

私は最近まで、この疑問に対して「然り」と答へるのを常としてゐた。それどころか、秀れた文学作品は必らず大衆性をもつべきものであり、大衆性をもつといふことは、その作品がすぐれてゐるといふことの不可欠の条件であると考へてゐた。

尤も、最近に、私は、この考へに多少の制限を加へて、出版商業主義の力が、文学の大衆性を決定する上に相当な役割を演じてゐるといふことを認めるやうになつて来たが、それでも、なほ、私は、この商業主義の力は、文学作品の大衆性に対して付随的な条件に過ぎないと考へてゐた。ところが近頃になつて、私は、文学作品の大衆性の問題は、文学の本質的な問題といふよりも、寧ろより多く、商業主義によりて決定される問題であり、大衆性といふことに関する限りに於いては、出版商業主義の力こそ、まさに本質的な要素であると信ずるやうになつて来た。

そこで、私は、言はゞ、文学作品の芸術的価値に対立して、その商業的価値とでもいふべきものを仮想する必要に迫られた。マルクス主義文学の作品の場合に、政治的価値と芸術的価値とを対立させたやうに、いはゆる大衆文学の作品の場合には、商業的価値と芸術的価値とを一応分離して対立させなければ、文学作品の大衆性といふ問題を十分に理解することは不可能であると考へるに至つた。

さきに、芸術的価値と政治的価値とを私が分離したときに、この二つは互に排撃しあふものであると私が主張したかの如く誤解した人が随分あつたが、私はこの二つは、別々の要素であるにかゝはらず、一作品のうちに両立し得るものであることは認めたが、マルクス主義文学の場合には、政治的価値が優位を占めなければならぬと言つたまでゞある。

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