若水の話
本文約16,800字 ・ 読了時間 約34分
あらすじ(AIが作成しました)
離島での生活を通し、祖先が受け継いできた「つれづれ」という感覚や、過去と未来を繰り返す時間観を論じる。村の歴史が過去を回顧せず、一年を循環するものと捉える邑落生活の背景には、常世の国から戻る霊を迎える春の祭りがあった。著者は、暦の型や祝言職人が唱える寿詞が、人々を太古の時間へと回帰させ、物事を更新させる呪術的な力を持っていたことを解き明かし、日本における芸能の起源と古代の精神構造を考察する。
リクエストが集まると、作家に音声化の需要が伝わります。
💰 この本を応援する(投げ銭)
一
ほうっとする程長い白浜の先は、また目も届かぬ海が揺れてゐる。其波の青色の末が、自づと伸し上る様になつて、頭の上まで拡がつて来てゐる空だ。其が又、ふり顧ると、地平をくぎる山の外線の、立ち塞つてゐる処まで続いてゐる。四顧俯仰して目に入るものは、此だけである。日が照る程風の吹くほど、寂しい天地であつた。さうした無聊な目をらせる物は、忘れた時分にひよつくりと、波と空との間から生れて来る――誇張なしに――鳥と紛れさうな刳り舟の姿である。遠目には磯の岩かと思はれる家の屋根が、ひとかたまりづゝ、ぽっつりと置き忘られてゐる。琉球の島々には、行つても/\、こんな島ばかりが多かつた。
我々の血の本筋になつた先祖は、多分かうした島の生活を経て来たものと思はれる。だから、此国土の上の生活が始つても、まだ万葉人までは、生の空虚を叫ばなかつた。「つれ/″\」「さう/″\しさ」其が全内容になつてゐた、祖先の生活であつたのだ。こんなのが、人間の一生だと思ひつめて疑はなかつた。又さうした考へで、ちよつと見当の立たない程長い国家以前の、先祖の邑落の生活が続けられて来たのには、大きに謂はれがある。去年も今年も、又来年も、恐らくは死ぬる日まで繰り返される生活が、此だと考へ出した日には、たまるまい。