古木
本文約11,600字 ・ 読了時間 約24分
あらすじ(AIが作成しました)
終戦後、公職を去った柴田巳之助は自宅で病床に伏し、庭に聳える椎の古木を眺めて日々を過す。かつての大火災で炎に包まれ、枯死してなお庭に立ち尽くすその姿に、巳之助は自らの行く末を重ね、複雑な想いを抱く。やがて彼は古木の伐採を決意し、木が取り払われて晴れやかな空間が広がった庭を最期に見つめる。本書は、戦後の変転の中で古木と向き合い続けた男の精神と、その静かな終焉を描く。
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終戦後、柴田巳之助は公職を去り、自宅に籠りがちな日々を送りました。隙に任せ、大政翼賛会を中心とした戦時中の記録を綴りかけましたが、それも物憂くて、筆は渋りがちでありました。一方、時勢を静観してみましたが、大きな転廻が感ぜられるだけで、将来の見通しは一向につきませんでした。そして索莫たる月日を過すうち、病気に罹りました。
初めは、ちょっとした感冒だと思われましたが、やがて不規則な高熱が続き、それが少し鎮まる頃には、心臓の作用が常態を失していましたし、かねての糖尿病も悪化していました。医者は首を傾げました。
鉤の手に建てられた家屋の、一番奥の室から、廊下を距てて、床高に作られた書院が、病間でありました。
気分がよく天気もよい時、柴田巳之助は、障子を開け放させ、縁側の硝子戸ごしに、外を眺めました。ともすると、縁側近くに布団を移させることもありました。
室の二方を取り廻した縁側の、その一方から、広い庭の片隅にある椎の大木が見えました。
眼通り四抱えほどもあるその大木は、樹齢幾百年とも知れず、この辺一帯が藪の茂みであった昔から、亭々と聳え立っていたことでありましょう。横枝の拡がりはせいぜい十米ほどでありますが、高さはその三倍ちかくもあって、巨大な幹がすっくと伸びきり、梢近く朽ち折れて、空洞を幾つか拵えています。嘗て、市内の天然記念木指定が流行でありました頃、文部省関係の人が、指定に価すると讃美したことがありました。柴田巳之助はそれに乗らず、公木としてでなく、私木としての所有を誇りとしました。