レンブラントの国
本文約12,600字 ・ 読了時間 約26分
あらすじ(AIが作成しました)
一九三九年、オランダを訪れた著者が、国土の風土と国民生活の関わりを綴る。運河や堤防に象徴される土地と人々の関係、近代化が進む都市に漂う伝統の情緒を描き出す。さらに、オランダが最も強く印象に残る理由として、レンブラントの芸術に焦点を当てる。窮乏の中で制作を続けた画家の人間研究としての肖像画や宗教画を論じ、晩年の作品に見る魂の躍動と技術の円熟をたどることで、芸術家としての天才性を考察する。
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一
オランダには三日半きりいなかったけれども、小さな国だから、毎日車で乗り廻して、それでも見たいと思っていたものはあらかた見てしまった。
五月一日(一九三九年)の昧爽、フーク・ファン・ホランドに上陸した時の第一印象は、いかにも物静かな、どことなく田舎くさい、いやに平ったい国だという感じだった。前の晩おそく、雨の中をハリッジを出帆して、百五十マイルの航程を七時間、北海の波に揉まれて、それでもどうにか眠ることは眠ったのだが、まだ幾らか寝が足りなかったので、公使館から廻してくれた車を捜すにも寝ぼけ眼だったに相違ない。尤も、捜すとはいっても、埠頭の税関所につづいた停車場の構内には車は二三台しか見えなかったから、わけはなかったのだが。
フーク・ファン・ホランドから首都ハーグまでは北東へ十マイルそこそこの距離だった。雨あがりの空からは和やかな朝の陽光が沿道の耕地に降りそそぎ、静かな・田園的な・平坦な国土の印象がいつまでもつづいた。ハーグに入ってもその印象は失せなかった。ハーグは十八世紀までは「ヨーロッパ最大の村」といわれた。十九世紀の初葉、オランダ王となったルイ・ボナパルト(ナポレオン一世の弟)に依って都市の特権が与えられ、今日では小さいながら王宮もあれば議会もあるけれども、また、中世以来の旧市街の外に新しい近代都市的区域も出来てはいるけれども、商業がなく、産業がないためか、なんとなく田園的な空気が漂っていて、せいぜい別荘地といったような印象をしか人に与えない。ハーグ den Haag という名前――正しくいえば、S Graven Hage(伯爵の囲い地)――が示す如く、昔は領主(伯爵)の狩猟の足溜まりの場所だったのが、近代に至って政治・外交の中心地となっても、その色彩はずっと褪せなかったものと見える。
そこへ行くと、アムステルダムとかロッテルダムとかの海港都市は、近世初期のオランダ海運業の隆盛と共に発展した土地だけあって、形貌からいっても実質からいっても、一種の国際都市的特色を持っていて、ある意味ではオランダ的でないといってもよいだろう。