舌打する
本文約590字 ・ 読了時間 約2分
あらすじ(AIが作成しました)
野村は過去の恥ずかしかった記憶や口惜しかった出来事を不意に思い出し、頻繁に舌打ちをする。現実では饒舌になれず、好意を寄せる女性に対して手紙を書いても意図は伝わらず、共に歩く際も会話ができず沈黙してしまう。少年時代の消極的な記憶を含め、理想と現実の乖離に苛まれる内面を綴る。
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チェッ、と野村は舌打をすることがよくあった。彼は遠い昔の恥かしかった事や、口惜しかったことを、フト、なんの連絡もなしに偲い出しては、チェッと舌打するのである。
(あの時、俺はナゼ気がつかなかったんか、も少し俺に決断があったら……)
彼はよくそう思うのであった。けれど夢の中で饒舌であるように、現実では饒舌ではなかった。女の人に対しても口では下手なので、手紙をよく書いた。けれど矢っ張り妙な恥かしさから、彼の書いた手紙には、裏の裏にやっと遣る瀬なさを密めたが、忙しい世の中では表てだけ読んで、ぽんと丸められて仕舞った。
又女の人と一緒に歩いても、前の日に一生懸命考えた華やかな会話は毛程も使われなかった。そして、彼はただ頷くだけの自分を発見して淋しかった。然しその時は、ただ一緒に歩くだけで充分幸福であるのだが、あとで独りになると、チェッと舌打するのである。
小学校三年の時、一級上の女生徒と、なぜか一緒に遊びたかったけれど、言い出す元気もなく、その子の家の『小田』と書かれた表札を何度も読みながら、[#「、」は底本では「、、」]わざと傍目も振らず行ったり来たりして、疲れて家に帰った――そんな遠い遠い昔の事を不図偲い出して、又チェッと舌打するのである。
……といって、野村は、爪を截りながら、私の顔を覗きこんだ。私は一寸、いやあな気持がして、
『誰でもさ……』
とタバコの煙りと一緒に吐出した。
完