兄のたより
明け方から降りだした雪が、お正午近くになっても、まだ、止まなかった。
灰色の空から、綿をちぎったような雪が、ヒラヒラと舞い落ちては、音もなく積って行く――。今朝、家を出る時には、それほど積っていなかったが、もう、十二、三センチは、たしかにあるらしい。
英夫は、「雪の進軍」の口笛を吹きながら歩いていた。
雪の進軍氷をふんで
どこが河やら道さえ知れず
馬は斃れる捨ててもおけず
…………
近ごろ、ラジオでもよくやる、溌剌とした行進曲が、降る雪の伴奏のように思われて、こうした雪の道を歩くのに、ふさわしかった。
歌って、へんなものだなあ――と、英夫は思った。知らず知らずの間に、この軍歌の口笛を吹いていたのだ。
今日は日曜日で、講道館に少年組の紅白試合があった。
英夫は、水道橋の講道館から、若松町の家まで、歩いてかえることにした。
紅軍が副将の英夫のところで、五人抜いたので、大将を一人残して勝った。英夫の足がはずんでいるのは、そのせいかも知れなかった。凱旋将軍の得意さ、つまり、意気揚々としてかえる……とでもいうのだろう。帽子や外套の肩に、しっとりと湿った雪が降り積っても、別に苦にはならなかった。かえって、汗ばんだ、上気した頬にあたる冷たい雪が、こころよかった。
若松町の高台にある、陸軍軍医学校から、左に折れて、細い路地を入ったところに、英夫の家がある。――路地の突き当りの、古ぼけた冠木門に「河井謙一」と、表札のかかっている家がそれだ。
英夫の兄弟には、両親がなかった。いや、あったことはあったのだが、英夫の四つの時に、父親が死んだ。その次の年には、母親にも死に別れなければならなかった。それ以来、兄の謙一が両親の代りになって、英夫を育ててくれた。食事や、身のまわりの世話は、遠縁にあたる小母さんがしてくれた。
謙一は、府立の中学校から陸軍士官学校に入学した。士官学校を卒業する時には、恩賜の軍刀を頂いた秀才で、殊に語学は天才的だった。支那語や、マレー語や、スペイン語なども自由に話すことが出来た。