新劇協会の更生について
本文約1,000字 ・ 読了時間 約3分
あらすじ(AIが作成しました)
新劇協会の更生運動に携わるにあたり、その動機と真意を綴る。現在の劇団組織では本質的な新劇運動には及ばないと主張する著者は、今回の参加を将来への準備行動と位置づける。演出そのものよりも、新たな俳優の訓練を重視し、優れた脚本を上演できない現状は俳優の不足に起因すると説く。五年後の成果を見据え、舞台に関わる意義を問い直す中で、今後の活動方針と俳優養成の必要性を世に示そうとするものである。
💰 この本を応援する(投げ銭)
私が今度、菊池寛氏並に畑中蓼坡氏の勧誘によつて、新劇協会の更生運動にたづさはり、他の諸君とともに応分の力を藉さうとした動機について、一言、世間の諒解を得て置きたいと思ふ。
何れ近々のうちに、文芸春秋社から公式の発表があるだらうと思ふが、私一個の立場から、何よりも先づ明かにして置きたいことは、現在の俳優を以てする如何なる組織の劇団も、本質的な新劇運動に参与する資格はないといふ平生の主張と、一見相容れない態度を私が取つてゐるやうに思はれるかも知れないといふ点である。
今日と雖も、私は平生の主張を更へてはゐない。たゞ、これから着手する仕事が、直ちに、私の所謂「本質的な新劇運動」であると思ふのは早計である。云はゞ、将来「本質的な新劇運動」に入るべき準備行動であると思つて貰へばいゝ。
勿論、今度の仕事は、私一個の仕事ではない。寧ろ、畑中氏を始め、先輩友人諸君の驥尾に附して一部分の仕事を担任するに過ぎないのだけれども、私としては、単に、人の仕事を助けるといふ名目だけに甘んじてゐたくない腹は充分にある。
例へばこの一二年の間に、いくつかの演出を試みるかも知れないが、元来演出者の仕事をそれほど「重大」であると考へてゐない私は、五日や七日の公演に於て示し得る演出者の技倆よりも、これから三年か五年後に、その五日か七日を除いた他の時日間に於て、われわれがどれだけ有効に「新しい俳優」の訓練を仕遂げ得るか、その結果を世に問ひたいと思つてゐる。
かういふと、私が独り俳優養成の衝に当るやうに聞えるかもわからないが、そんな相談はまだ誰からも受けてゐないし、現在の私にそれだけの自信もないが、今度の計画について私の意見を述べた機会に、私は、その問題を除外して、今、われわれが「舞台の仕事」に関係することは殆ど無意味であるとさへ説いた次第である。
関口、高田の両君も、此の点は深く考慮にいれてをられる筈である。