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TORENDIA

劇場と観客層

本文約3,300字 ・ 読了時間 約7分

あらすじ(AIが作成しました)

日本の芝居が直面する現状と課題を論じる。歌舞伎や新劇など多様な上演形態がありながら、多くの劇場が近代的教養と無縁な特定の一階級のみを観客層として捉え、芸術性と興行価値を対立させている現状を指摘する。結果として現代の観客は劇場から離れつつあり、早急にパリのような多層的な劇場文化の必要性を説く。芸術的でありながら観客を惹きつける作品が上演される劇場の不在こそが、日本の演劇を衰退させている主要因であると警鐘を鳴らす。

岸田國士

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🎧 劇場と観客層 / 朗読音声: VOICEVOX:もち子さん

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本誌(「改造」)に時評を書くのは初めてだから、多少今まで云つたことと重複する点もあるが、私が現在、最も痛切に感じてゐることを、ここでも云はして貰ふことにする。

先づ、私が訊ねたいと思ふのは、本誌の読者で、「現在の芝居」を観に行く人が、どれだけあるかといふことだ。歌舞伎、新派、新劇を通じて、ある程度まで各人の好みがあることはあるだらうが、その何れでも、実際、時には観たいと思ひ、木戸銭を払つて観に行くといふ人があれば、余ほど「特別な事情」からではないかと思ふ。

歌舞伎の方で、菊五郎を観に行くとか、中車が好きだとかいふのは、まあよろしいとして、例へば何座で何々をやつてゐるから観に行くといふ好事家がゐたらお目にかかりたい。「某新劇団が今度亜米利加作家某の作品を上演するさうだ。その作品はまだ読んでないが、評判になつたものらしいから、どんなものかひとつ観て来てやらう」――そこで、生憎、その晩は雨だ。それでも観に行く元気があつたら、それはただ売りつけられた切符を無駄にしたくないためばかりではないか。

私は、決して、専門の批評家や、その道の研究者を揶揄する考へは毛頭ない。飽くまでも、「一般の読者」を標準にして云つてゐるのだ。

さて、なぜこんなことを云ひ出したかといへば、日本に生れ、多少新しい芸術的教養を受け、しかも、演劇といふものを何かの動機で好きになつた人、又は、娯楽の一つとして自分の趣味に適ふ芝居を求めてゐる人があつたら、それは実に不幸な人だといふ前提をしたいからだ。

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