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TORENDIA

新劇復興の兆

本文約5,600字 ・ 読了時間 約12分

あらすじ(AIが作成しました)

日本の演劇界において新劇運動が過去の運動から学び、既成劇壇に対抗する独自の基盤を築く必要性を論じる。これまでの新劇は形式に囚われ俳優が主体性を欠くなど課題を抱えていたが、現代の機運の中で若手作家の台頭や新劇団の動きが見られる。今後、戯曲の価値と独自の演技目標を追求し、大衆を魅了する現代的な舞台を確立することで、既成演劇と対等に渡り合い真に成熟した演劇の地平を拓く可能性を提唱する評論である。

岸田國士

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文学の上では、絶えず思想的な波の起伏が、直接にその時代の作家を――、殊に若いヂェネレエションを刺激して、あらゆる面での先駆的な運動となつて現れるのであるが、演劇の方面では、今日までのところ、所謂革新派と見做すべき一群の擡頭は、常に若干年数の周期を経て繰り返されてゐるやうである。

この現象は、勿論、説明をつけてつけられないこともないが、要するに、演劇の実際運動といふものは、ややお祭りのやうなもので、一人が騒いでもなんにもならないからである。それに、何よりも、世間がそれを「待つてゐる」時機にぶつからなければならぬ。さういふ時機といふものは、その以前に現はれた運動の余燼がほぼ消え終つてからどこからともなく、じわじわと、近づいて来るのである。

そして、今、わが劇壇は、またさういふ時機にぶつからうとしてゐる。

ところで、私は、日本の新劇運動が、未だ嘗て、その目標とするところに近づき得なかつた最大の原因を、種々な点に発見し、一再ならずその意見を述べたつもりである。それはつまり、在来の「新劇運動」が、その新興的な意気にも拘らず、例外なく、表面の形式に囚はれ、少くとも、その材料と必要な基礎工事に注意を払はなかつたところにあると断言し得るのである。

しかしながら、さういふ結果は、必ずしも当事者の無能怠慢から生れたのではなく、畢竟、日本に於ける「新劇運動」の方向が、西洋に於けるそれと、その軌を一つにしてはならぬといふ原則に想ひ当らなかつたからであらうと思ふ。

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