文学座『夢を喰ふ女』を演出して
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あらすじ(AIが作成しました)
現代の家庭の崩壊しがちな人間群を、感覚的な角度から生態として描いた野上彰の戯曲『夢を喰ふ女』を演出するにあたって、演出家が抱いた意図や工夫を綴る。観客に理解を求めるのではなく、俳優の肉体を通した官能的な群像劇によって作品の調和と旋律を感じさせること、そして当時の経済事情や舞台条件の中でいかに演出を試みたかという経緯を明らかにする。
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野上彰君の「夢を喰ふ女」の戯曲としての新しさは、現代の生活風景の中から、家族としてもつとも崩壊しやすい条件を持つている人間群をとらえて、それを心理的、もしくは思想的角度からではなく、一種の感覚的角度で、それらの人物個々の生態を描いていることと、戯曲の定石としての構成を無視して、人物の絵模様のリズミカルな動きを、そのまま投げ出していることとの二つにあると思う。
この作品の特色を現在の舞台条件である程度まで示そうとするには、俳優が自分の肉体を、なるだけ現代の人物の中の特殊なタイプにあてはめて、全体の人間群像の生活の中にある官能的なものを強調するという方法によらねばならない。したがつて装置、衣装、メーキャップのようなものは、本来ならなるだけ類型をさけて、様式化したものでやりたいが、現在経済事情その他の理由で演出意図通りのものは得られぬゆえ、その点多少とも手のとどくものの中から選ぶという消極的方法がとられた。
またこの芝居全体として作者が何を言はうとしているかということについては、観客に理解させるということには重きを置かず、感じさせるということに重きを置くのが、ぼくとしてはいいことだと思い、そこを強調しようとする演出の工夫があつた。言いかえればこの戯曲の上演にはオーケストラの演奏のような、調和と旋律をねらつたものであり、そのつもりで観てもらいたいと演出者として希望するのである。(三月十六日談)
完