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TORENDIA

腐った蜉蝣

本文約15,900字 ・ 読了時間 約32分

あらすじ(AIが作成しました)

神経衰弱のため太平洋沿岸の町で静養中の「私」は、海岸を徘徊する痩せた男、春日と出会う。かつて恋人を奪った男との生活を嫌い東京を捨てた私は、医師でありながら作曲に没頭する春日と交流を深める。春日の家を訪れた私は、乱雑に壊された楽譜やピアノを目の当たりにし、彼の苦悩を垣間見る。やがて私は、かつての恋人ネネの近況を耳にし、自らの執着と春日の境遇を重ね合わせ、霧深い夜の街で過去の恋に決別を告げるような奇妙な解放感を抱く。

蘭郁二郎

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一

黄昏――その、ほのぼのとした夕靄が、地肌からわき騰って来る時間になると、私は何かしら凝乎としてはいられなくなるのであった。

殊にその日が、カラリと晴れた明るい日であったならば猶更のこと、恋猫のように気がせかせかとして、とても家の中に籠ってなぞいることは出来なかった。さも、そのあたりに昼の名残が落ちているような、そして、それを捜しまわるように、ただ訳もなく家を出、あてどない道を歩いて行くのだ。

――その当時、私は太平洋の海岸線に沿った、小さな町にいた。自分から、あの華やかな「東京」を見棄てこんなネオンライト一つない町に、進んで来たわけではなかったが、医者に相当ひどい神経衰弱だ、といわれたのを機会に、失恋の東京から、暫く遠ざかるのもよかろうと、小別荘を借りて移って来たのだ。

東京との交渉は、月の下旬に、老いた母の手を通して送られて来る、生活費に添えられた手紙と、それに対する私の簡単な返事とだけであった。汽車に乗れば、たった二時間たらずの処でありながら、それ以上の交渉を、わざと執ろうとはしなかった。それは東京の何処かに、ネネ(ああ、私は今でも、曾つて恋人と呼んだ彼女の姿体をハッキリと思い出すことが出来る、しかし、それも、不図女優などの顔を思い出した時のような、妙に期待めいたものは寸毫もなく、狂おしくも無慙な、苦しみを伴なった思い出なのではあるが……)そのネネが、新しき情人、木島三郎と、親しく暮しているであろうことを思うと、それだけで東京全体が、ひどく穢わしく淫らがましく、酸ッぱいものが咽喉の奥にこみ上って来るのだ。

(それを忘れるまで、東京へは帰るまい……)

私は、そう思っていた。そう思って東京を棄て、まだ春も浅い、さびれた海岸町に来たのだ。

だが、忘れようと、焦慮れば焦慮るほど、私はあのネネの、真綿で造られた人形のような、柔かい曲線に包まれた肉体を想い出し、キリキリと胸に刺込む痛みを覚えるのだ。黄昏になると、殊にその誘惑がひどくなる。

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