薪能と呪師走の翁
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あらすじ(AIが作成しました)
飛鳥時代から続く御薪を積む古習俗に由来する薪能について、その歴史的変遷と背景を綴る。興福寺の修二会に伴う宗教儀礼から、猿楽者の興隆とともに洗練された芸能へと変化する経路を解説する。また、春日社頭の薪能で演じられる翁の中でも、とりわけ古い形式とされる呪師走の翁に焦点を当て、その出自や外来芸能との関わりを論じ、猿楽の多様な系譜を辿ることで、この伝統芸能が持つ歴史的意味と変容の過程を丁寧に解き明かす。
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久しく絶えてゐた薪能が復活して、こゝに再、恒例の行事となつたのは、近年のことである。志深い大和侍の児孫と称する人があつて、南都の神事芸能を興すことを以て、偏に祖先にこたへる道と信じ、世の思議を越える奇特を行つたことによるのである。
旧日本の民俗には、年の初め一月望日に御薪を積んで、平常仕へる所に勤労の誠を示す風、既に飛鳥の宮廷記録があり、現に「小正月」の習俗として残存する地方も多い。
薪能の語原に就いて、近年傾聴すべき新説のあることも知つてゐる。が、姑らく先輩の説に卑見をもまじへて、啓蒙の文を綴る。
興福寺東西金堂の鎮守河上・氷室両社の神が、右二堂の仏の為の御薪を積む儀が、二月初めの修二会に併せ行はれた昔から、時を経ていつか西金堂ばかりに執り行ふことになり、更におなじ寺の南大門の芝に、処を定めるに到つたのである。
翁姿の聖者の修二会に来臨した宗教儀礼が、薪を負ふ老躰の振舞ふ芸能になりゆく径路は、想像するに容易である。この芸が薪猿楽と呼ばれたのは、猿楽者の演ずる猿楽であつて、薪を積む古習俗に起因することを忘れなかつたことを示すものである。
一体、猿楽者の興隆したのは、恰も、確執多い大和侍の競ひ起つた時に当つてゐた。宮寺の旧儀も世間動乱に妨げられて、定例どほり行ふことの方が、珍しいほどであつた。
修二会は行ふことなく、薪猿楽独り行はれることもあつた乱離の間に、其も栄えるものは栄えて、猿楽全盛の春は来た。
古くは二月二日、近代の風では、其六日から向う一七日。その中、三日目以後は、毎日一座、四日間、四座の太夫の薪猿楽奉納が、春日社頭に行はれる。最後の日は、四座打ち揃つて南大門の能が行はれた。
猿楽者の持つ芸種目は、必しも単純ではなかつた。種々先行芸能、田楽・曲舞・小歌の類にして、猿楽の中に併容せられずにゐたものは寧、少かつた位である。外来の伝統を持つ呪師の技術も、固よりその一つであつた。