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TORENDIA

プルウストの文体について

本文約5,000字 ・ 読了時間 約11分

あらすじ(AIが作成しました)

マルセル・プルウストの文体を論じる。一見すると冗漫で混乱した記述の中に、一瞬の感覚から精神的な永遠性を抽出しようとする作家の苦闘と、比喩や独自の言語リズムを用いた芸術的創造の過程を解説する。また、通常の認識を超えた領域の感覚を捉えるその特異な資質について、友人たちの逸話を交えながら、独創的な作家が抱える表現の不器用さとその本質的な価値について考察する。

堀辰雄

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🎧 プルウストの文体について / 朗読音声: VOICEVOX:春日部つむぎ

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散文の本質といふものは、自分の考へをどんな風にでも構はずに表現してしまふところにある、と言つてもいいやうであります。スタンダァルにしろ、バルザックにしろ、さういふ意味での、本當の散文家でありました。それから、いまお話ししようとするプルウストも、さういふ散文家の最もすぐれた一人であります。

プルウストの文體は、一見しますと、いかにも書きつぱなしのやうで、混亂してゐて、冗漫に見えるのであります。しかし、それだからと言つて、その文體そのものを非難する訣には行きません。プルウストの場合には、その驚くべき冗漫さも已むを得ぬと我々に首肯せしめるだけの充分な理由があるからであります。「スワン家の方」の何處でもいいから開いて御覽なさい。例へば、ここにアスパラガスを描寫した數行があります。

私は、女中がいま莢を剥いだばかりの小豌豆が、テエブルの上に球ころがしの緑色の球のやうに澤山ならんでゐるのを見ようと思つて立ち止つた。しかし私がうつとりしたのはアスパラガスの前だつたのだ、――それはすつかり群青色と薔薇色とに濡れてゐて、その穗先は葵色と空色とにうつすら染まりながら、まだ畑の土のこびりついてゐるその先端に行くにしたがつて漸々に、天上の虹のやうに暈かされてしまつてゐた。さういふこの世ならぬ色合のせゐか、私にはそのアスパラガスが、何んだか或る微妙な生物が面白半分にそんな野菜に變身してゐるやうな氣がし、そしてその變裝(食べようと思へば食べられる、硬い肉の)ごしにまるであの曙の生れようとしてゐるやうな色合、あの虹の下描きのやうな色合、青味を帶びた夕暮れの消えんとしてゐるやうな色合となつて、その風變りなエッセンスが――それを晩飯に食べた晩は、夜中ずつと、シェクスピアの夢幻劇みたいな詩的でばかばかしい笑劇でも演ぜられてゐるかのやうに、私の尿瓶を香水瓶に變へてしまふところの、それほど風變りなエッセンスが、そのうちに認められるやうに私には思はれた。

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