娟々細々
本文約2,400字 ・ 読了時間 約5分
あらすじ(AIが作成しました)
皮肉や写生に偏る芸術観を批判し、人間と芸術の真のあり方を追求する随筆である。作家の苦悩が優れた作品を生むというかつての信念を否定し、仏典から得た教訓を通じて、善悪や裏表を超越した境地へと向かう姿勢を示す。また、建福寺での揮毫や墓地の塔婆を鑑賞する日々の断片、佐藤春夫や谷崎潤一郎ら同時代の作家や作品に対する批評を通じ、文章や筋書きを説くだけの既存の芸術論に抗い、独自の実感と審美眼に基づいた文学的な境地を綴る。
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皮肉に物を見るといふことは、その人の聡明を示してはゐるけれども、しかもその聡明に捉へられて自分一人を好いと思ひあがつたやうな処があつて厭だ。
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観察とか解剖とか言ふことは、得てさうした皮肉を生み勝ちである。唯、じつとして見てゐたゞけでも、それだけでも、人に皮肉な感じを与へる。
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皮肉ばかり言つてゐられる人は、存外暢気な性質かも知れない。でなければ、分裂ばかりあつて統一のない人かも知らない。中には自分が非常に辛くつてそれが激発して皮肉の語を成すものがあるが、それはもう単なる皮肉ではなくなつてゐる。
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人間はこんなに醜悪なものだと言つて、その縮写図を示して貰つたツて、人間が別に善くも悪くもなる訳ではない。何処まで行つても人間は人間である。芸術は芸術である。人間も芸術も、単なる写生だけでは何うにもならないものである。
写生の多きことよ、悪写生、醜写生、平写生。画家が写生から入つて行き、詩人が観察から入つて行くことは、初学者は好いかも知れないが、一生をこの写生に没頭して倦まざるものは、笑ふべく憫むべき小作家なる哉。
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梧桐の葉が余り繁りすぎたので、植木屋を呼んで少しばかり伐らせた。その時の詩に、『幾樹梧桐遶草茨、重々如傘暗書惟、還嫌風雨攪幽夢、剪取窓前一二枝』
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作家が苦しんでゐるほどすぐれた作が出来ると思つた時代があつた。またそのために作者は苦しまなければならないと思つた時代があつた。つゞいてデカダンや、無節操や、小反抗や、似非不道徳をわざとやつて歩いた時代があつた。そしてそこから芸術の新しい花が開くと思つた。愚かであつたことよ。
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真面目なことを茶にして笑つて了ふやうな態度も厭だけれども、つまらない小さなことを上段から振翳して、大真面目でゐるのも馬鹿々々しい。
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阿難の執着を破するために、心も亦虚妄と言つた世尊の言葉は味ふべき言葉である。唯心縁起――華厳経などはそこから出立して居りながら、その心も亦虚妄と言つて了つたところにも深い意味がある。
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