私の考へてゐる事
本文約5,100字 ・ 読了時間 約11分
あらすじ(AIが作成しました)
人生の諸問題を論じる講演録。若者に向けて、書物を通じて人生を学ぶことの重要性を説く。文壇意識にとらわれず静かに研鑽を積むべきであり、文学においては自然を真の師として表現を追求する姿勢が必要だと説く。実人生に安易に急いで触れることを戒め、自己の内部を豊富に蓄えることで、自ずと芸術的な勝利へ至ると主張する。学問への向き合い方や、書く技術と内面的な深まりの均衡について、自身の経験を交えて提示する。
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若い人達のためには、私は第一に勉強することを勧める。しかし勉強と言つても書くことばかりではない。読書すること、見学すること、論議すること、すべてそれを指して言つてゐるのである。若い頃にはいくらあせつても、実人生のことには容易に本当に触れ得るものではないのである。父母兄弟、叔父伯母、さういふものの中にその一部を発見するにはしても、十分にそれを理解することは出来ないものである。従つて余りに年若くて、実人生に触れるといふことは、決して好いことでも幸福なことでもない。むしろ早く触れたがために、却つてその発達が小さくなつて了ふやうな場合がよくある。『あまり早く世間に出たのがわるかつたのだ……。そのために、あの人は平凡になつて了つた……』かうした言葉を私はよく耳にする。
私の考では、実人生に打突かるのは、成るたけ遅い方が好い。遅ければ遅いほど好いと言つても好いくらゐである。私は二十五六になつて初めて実際に目を向けたといふやうな青年を愛する。性の目覚が若い人達を無茶に実人生に駆つて行かせるやうな形を私はよく知つてゐるけれども、それはぢつと抑へてゐなければならないものである。若い人達には力強くそれを抑へるだけの義務もあれば勇気もあるといふことを私は知つてゐる。
だから、若い人達は書物の中から実人生を学んで置く必要があるのである。それに依つて知るより他手段がないのである。それに、凡そ書物といふものには、何んな書物にも、科学書にも、哲学書にも、小説にも、戯曲にも、断片的な感想にも、皆な人生が書かれてあるのである。否、何んなつまらぬ本にも一つとして人生の書かれてないものはないと言つて好いのである。それは見やうによつて、そこから人生の一つしか持つて来ることの出来ないものもあらうし、五つ持つて来るものもあらうし、その人の読書眼の如何によつていろいろであらうけれども、兎に角書物の中には何んな書物でも一つ一つ人生が展開されてゐるのである。だから若い人達のためには、この書物に親しむといふことは非常に大切なことである。