磯清水
本文約4,300字 ・ 読了時間 約9分
あらすじ(AIが作成しました)
夏に避暑地で過ごす正夫と袖子は、磯や松林を散策し、無邪気な恋の時間を共有する。ある日、二人は未踏の山頂を目指して登り、そこからの眺望を堪能する。また別の機会に磯を探索中、岩の間に湧き出る美しい清水を見つけ、喉を潤す。しかし、浜で心中による犠牲者の遺体を目撃した袖子は、それまで知らなかった人生の過酷な現実に直面し、激しく涙を流す。
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一
二人はよく裏の松林の中を散歩した。そこにはいろいろな花が下草に雑つて刺繍でもしたやうに咲いてゐた。黄い小さな花、紫色をした龍胆に似た花、白く叢を成して咲いてゐる花、運が好いと、真紅な美しい撫子の一つ二つをその中から捜すことは出来た。波の音は地を撼すやうに絶えずきこえて来てゐた。下には海水浴をする人達のために構へられた旅舎が二軒も三軒も連つてゐるのが見えた。
『正夫さん! ほら……』
五六歩後れた袖子はかう言つてその後姿を此方に見せて歩いて行つてゐる正夫を呼んだ。正夫は振返つた。
『ほら!』
袖子の手には小さくはあつたけれども、ゆかりの色の濃やかな桔梗の花が掲げられてあつた。
『ほ! 桔梗?』
『好いでせう?』
『何処にあつたの? ほ、こいつは素的だ――』
『好い色でせう?』
『本当だ……』
正夫は袖子の手からそれを取つて見たが、すぐかへして、
『好いのがあつたね、そんなのは中々ありやしないよ。何処にあつたの?』
『そこにあつたのよ』袖子は嬉しげに後を振返るやうにして、『色が好いのね?』
『本当だ。こんなに濃いのは滅多にありやしない……』
『私、ひよいと見たのよ。さうすると、葉のかげになつてこれがあるぢやないの? 私胸がドキドキしたわ。だつて、こんな好い色の桔梗がこの山の中にあるとは思はなかつたんですもの……』
『僕におくれよ』
『あとであげるわ』
二人は猶花を探しつゝ歩いた。しかしその中には労れたといふやうにして、その他に撫子の三つ四つ、白い花の二つ三つを併せて持つたまゝ、いくらか崖のやうになつてゐるところに立留つた。そこからは海が一目に見わたされた。白色灯台を持つた半島がずつと海の中に突出してゐて、その岸の絶壁を縫つてゐる沢山な岩石の上に波がさゝらのやうになつて白く砕けてゐるのが手に取るやうに見えた。
この海岸の一角は全くかれ等のものであると言つて好かつた。かれ等は夏の初から来た。まださう大勢避暑客のやつて来ない中から来た。しかもかれ等の上には恋のエンヂエルはまだその竪琴を弾き出さうとはしなかつた。かれ等は静かに無邪気に話した。パウルとルジニイのやうにして話した。