本文へ移動
TORENDIA

抵抗のよりどころ

本文約19,600字 ・ 読了時間 約40分

あらすじ(AIが作成しました)

日本の劇作家が、戯曲を軽視するジャーナリズムの現状に直面し、経済的困窮を抱えながらも執筆を続ける苦悩を綴る。執筆者としての立場や社会への責任、そして自らの精神的拠り所を考察する。また、再軍備への反対の意思を表明し、人殺しの道具である武器をいかなる状況でも拒絶するという、平和への個人的かつ具体的な抵抗の姿勢を論じる。

三好十郎

🎧 まだ音声版はありません

リクエストが集まると、作家に音声化の需要が伝わります。

💰 この本を応援する(投げ銭)

1 / 25

1

私は妙なところからはじめます。

いま私はすこし長い戯曲にとりかかっていますがそれを書きあげても発表する場所の目あてがないので困っています。以前からそうですが、敗戦後はじつに徹底的に、日本の諸雑誌は戯曲作品をのせることを毛ぎらいします。理由は、編集者たちの好みや偏見からくる小説偏重の習慣もあるだろうし、ページ数をとりすぎるという点もあろうし、戯曲作家たちが良い作品をあまり書きえないこともあるだろうし、読者が戯曲形式をよろこばないと思われている等々のようです。

どの理由も反ばくしようと思えばできるが、しかし反ばくしても仕方のない、また完全には反ばくできない理由ばかりです。なかでも最後の、読者がよろこばぬという理由がいちばん痛い。

現在の読者は、一冊の雑誌に小間物屋の店さきのように、流行小説家の名がズラリと並んでいないと買わないそうで、その並んでいる作品のなかみは比較的どうでもよいそうです。じつにばからしい話でその点では、現にそんな雑誌の編集者自体が、そのような読者を軽蔑しきっています。私などもハッキリ言うとそんな読者を軽蔑します。しかしそのような読者が雑誌を買ってくれないと、販売競争に負けて落伍する。そういう仕事をして食っているのが編集者であり、また、そういう雑誌に原稿を売って食っているのが著作家なのだから、実際上はそんな読者を軽蔑できるだんではないのです。アブラムシに依存しているアリが、アブラムシを軽蔑すると言ってみても意味はない。さしあたりは、それにむかってどうしようもないところの壁のようなものです。

そんなわけで、私のところに小説を書けとか随筆や評論を書けという注文は、ときどきくるが、戯曲を書けとの注文は、ほとんどきません。こちらから頼めば戯曲をのせてくれる雑誌は一二あるにはありますが、あまりたびたびだと迷惑をかけそうで気やすくは頼めません。

三好十郎の他の作品

同じジャンルの朗読つきの本