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TORENDIA

世界の「料理王逝く」ということから

本文約2,800字 ・ 読了時間 約6分

あらすじ(AIが作成しました)

フランスの料理人オウグュスト・エスコフィエの訃報を機に、西洋料理と日本料理の根本的な差異を論じる。調理の技術や理知を重んじ人工的な味を追求する西洋料理に対し、日本料理は優れた材料の天然の持ち味を生かすことを本質とする。著者は、料理人には卓越した味覚のみならず、素材を見極める鑑定力や審美眼、そして何よりも人格の陶冶が不可欠であると説き、現代の日本の料理界が抱える未熟さを指摘する。

北大路魯山人

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🎧 世界の「料理王逝く」ということから / 朗読音声: VOICEVOX:雨晴はう

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「世界の食通から『料理の王』と賛美されたフランス随一の板前オウグュスト・エスコフィエ老がこのほど亡くなった。

翁は外国にあって――わけても英・独・米等の地に永く留まって、フランス料理の醍醐味を遍からしめたので、『美食の大使』とも呼ばれていた。

ロンドンのサボイ・ホテルやカルトンで腕を揮っていた頃には、どれほどの喰いしん坊がはるばる海を渡って彼の皿を求めに来たか知れない。

大戦前、しばらくの間独帝に仕えた折りのこと、朕を毒殺するも容易であろうといったカイゼルに対して、フランス人は不意討ちなどは仕りませぬと敢然といい放ったものだという。

その死に遇って、パリのあらゆる新聞が筆を揃えて、偉大なる損失を悼んだのも、また、先に政府が勲章をもって功績に報いたのも、調理を芸術の一分野と看る、いかにも美食国らしい振舞いではないか」

右は「料理王逝く」として去る四月二十八日の東朝所載の記事。いかにもその料理王なるひとの生涯は思い見てうらやましきことだ。

すべての日本は外国に優る

その料理王の料理、いうがごとくしてそれが日本人であるなら、僕らのごときは毎日のように彼の料理を食ったことか分らない。

昔から僕らは日本という国、およそ何事も精神的のことであるかぎり、いかなる外国にも劣ることなしと考えているが、料理人ばかりは、この話に価するような者は一人もいないようだ。

日本料理と西洋料理との根本相違

もっとも日本料理と西洋料理とは、根本的に行方が違うようである。西洋料理はだいたいにおいて拙い材料を煮様、焼き方によって美味くする。従って、発達した理知がもっとも必要だ。しかし、目はいらない。それというのは西洋料理は美術的でないから。西洋料理では物の色は大きな役目をしているといえない。従って、目を喜ばす色を持つ料理はないといってよい。だから、食器類が美術的によき発達をしていない。白くして汚れがない程度を喜ぶに過ぎない。

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