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TORENDIA

東西相触れて

本文約5,600字 ・ 読了時間 約12分

あらすじ(AIが作成しました)

東洋と西洋の対立は実在の境界ではなく、相対的な観念に過ぎない。歴史的に地理的区分や鎖国政策によって両者の交流は阻隔されてきたが、本来は共通する基盤を持つ。現代において、強き個人が国境や種族の差を超えて精神的に交流する時、東西の隔たりは消失する。独自の文化を融合させ、世界的発達を遂げる可能性を秘めた日本人の役割を含め、東洋と西洋が相互に接近し、融合へと向かうべき未来の姿を本稿は論じる。

新渡戸稲造

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🎧 東西相触れて / 朗読音声: VOICEVOX:波音リツ

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あるいは東、あるいは西といえば如何にも両者の間に懸隔あるように聞ゆる。文章家はかくの如き文字を用いて相容れざる差を示す。かの有名な詩篇の内にも西と東の隔たる如く云々とある。この言に限らず総ての対照的文字は濫用され易い。近頃世間に用いらるる左傾右傾の如きもまた同じである。しかしこれらは何れも実在するものを指すのでなく、二者の関係を示すに過ぎない。東なくして西はない、西なくして東はない、右があればこそ左があり、左の存在は右を認むるようなもの。しかし少し高き見地より窺えば、何れも反対の観念を示すものでなくして、寧ろ両者の間に共通点あることを教うるものと思う。如何にも左傾右傾といえば右の指の尖端と左の指の尖端と、両極端を聯想せしめるけれども、この両極端とても、人間が両腕を拡げた時にこそ隔りの大なるを知るが、合掌したり両手の指を組む時は極端が相合う。また両腕を拡げた時にも、左右の腕は胴によりて結びつけられているではないか。胴があればこそ左右の区別が起る。思想に於て左傾と右傾とを区別するも、中庸があればこそ両者間に差別が起るのである。故に中道を歩むものから見れば、両者共に区別ある如くして区別がない、共に中庸を維持するものと見べきである。

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