本文へ移動
TORENDIA

幼年時代

本文約30,800字 ・ 読了時間 約62分

あらすじ(AIが作成しました)

養家に引き取られた少年は、実の母が住む実家へ密かに通い、深い愛情を受けながらもなぜ離れて暮らすのかという疑念を抱く。厳しい養母の視線や、自身の乱暴な一面と抱える孤独に苦しみながら、少年は唯一心を通わせる姉との絆を支えに日々を過ごす。冬の訪れとともに姉が嫁ぎ、親しい人が次々と遠ざかるなか、少年は静かな寺で父と二人、物思いに耽りながら十三歳の冬を越していく。

室生犀星

🎧 まだ音声版はありません

リクエストが集まると、作家に音声化の需要が伝わります。

💰 この本を応援する(投げ銭)

1 / 38

[#ページの左右中央]

大正八年八月

[#改ページ]

一

私はよく実家へ遊びに行った。実家はすぐ裏町の奥まった広い果樹園にとり囲まれた小ぢんまりした家であった。そこは玄関に槍が懸けてあって檜の重い四枚の戸があった。父はもう六十を越えていたが、母は眉の痕の青青した四十代の色の白い人であった。私は茶の間へ飛び込むと、

「なにか下さいな。」

すぐお菓子をねだった。その茶の間は、いつも時計の音ばかりが聞えるほど静かで、非常にきれいに整頓された清潔な室であった。

「またお前来たのかえ。たった今帰ったばかりなのに。」

茶棚から菓子皿を出して、客にでもするように、よくようかんや最中を盛って出してくれるのであった。母は、どういう時も菓子は器物に容れて、いつも特別な客にでもするように、お茶を添えてくれるのであった。茶棚や戸障子はみなよく拭かれていた。長火鉢を隔って坐って、母と向い合せに話すことが好きであった。

母は小柄なきりっとした、色白なというより幾分蒼白い顔をしていた。私は貰われて行った家の母より、実の母がやはり厳しかったけれど、楽な気がして話されるのであった。

「お前おとなしくしておいでかね。そんな一日に二度も来ちゃいけませんよ。」

「だって来たけりゃ仕様がないじゃないの。」

「二日に一ぺん位におしよ。そうしないとあたしがお前を可愛がりすぎるように思われるし、お前のうちのお母さんにすまないじゃないかね。え。判って――。」

「そりゃ判っている。じゃ、一日に一ぺんずつ来ちゃ悪いの。」

「二日に一ぺんよ。」

私は母とあうごとに、こんな話をしていたが、実家と一町と離れていなかったせいもあるが、約束はいつも破られるのであった。

私は母の顔をみると、すぐに腹のなかで「これが本当のお母さん。自分を生んだおっかさん。」と心のそこでいつも呟いた。

「おっかさんは何故僕を今のおうちにやったの。」

「お約束したからさ。まだそんなことを判らなくてもいいの。」

室生犀星の他の作品

同じジャンルの朗読つきの本