草野心平詩集『母岩』
本文約570字 ・ 読了時間 約2分
あらすじ(AIが作成しました)
草野心平の第三詩集『母岩』を中原中也が論じる。本作に収められた詩の背景にある、正確な感覚を重視する姿勢を高く評価する。学問や世間常識に左右されず、自然な感覚を詩作の基盤に置く作者の詩人としての在り方を見つめる。一方で、生活における野放図さが稀に詩の感覚を損なうことへの懸念を抱きつつ、詩人仲間としての視点からその創作の健全性と可能性を考察する。
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草野心平君の第三詩集『母岩』が出た。
草野君の感覚は非常に正確なものである。そして草野君の仕事は何時も感覚第一になされてゐる。このことは、詩の道として、最も健全なことである。彼は、学問にも世間常識にも煩はされてはゐない。自分の感覚を通して這入つて来るものの中に安心立命してゐるのである。従つて、その作品はうまく行つた時もまづく行つた時も、決して読む者をして厭憎を抱かしめることがない。感覚、つまり自然を何よりも大事に守つて居るからである。
草野君は酒を飲んで酔ふと殆んどそのたびに眠る。酒場であらうと屋台であらうと、その場に眠つてしまふ。それがまた実に自然だ。たゞ眠りに入る一寸前、小さい声で十分か二十分間位呟くくせがあり、その呟きに対して答へると聞きちがへてダダをこねはじめたりすることがあるのは欠点だ。
草野君の感覚を僕は好きだ。そのピントは実に正確だ。つまり彼は詩人として第一に大事な点に於ては決してころがりつこないのだ。だが、友達として一言忠告させて貰ふなら、その生活ぶりに、時として余りに野放図なものがあるので、謂はば必要以上に衰弱して居る日があつて、そんな日に出来た詩は、あの感覚と同居しにくい抽象概念を招きすぎて、読者を混乱させる場合がある。勿論これは、多かれ少かれ凡ゆる詩人について云へることで、私自身についても云へることである。
完