武家の食生活
本文約1,100字 ・ 読了時間 約3分
あらすじ(AIが作成しました)
戦時下の食糧不足に直面する中で、昔の武士の耐乏生活に学ぶ意義を梅樹先生が語る。武家にとっての質素な食事は、単なる節約ではなく、有事の際にうろたえないための心身の備えであった。泰平の世であっても経験と歴史に裏打ちされた厳しい食生活を継続した武家の姿を挙げ、現在の我々も状況に応じた工夫を凝らし、耐乏の生活を前向きに楽しむべきであると説く。
💰 この本を応援する(投げ銭)
「現在かくの如く切迫した決戦期にあり、国民の多くが一人で二人前も三人前も働いている時そしてその戦闘労力の要求が更に増大していくと信ぜられる時に、主食一割減という事実は各方面にかなり大きな問題を投げているようです」私がそういった。
「……それに就いて、昔の武士たちは合戦の時や籠城などの場合に、どんな耐乏生活をしていたものか、こういうことを真剣に訊ねられるんですが、これにはどんな風に答えたものでしょうか」
梅樹先生はぎろりと私を睨む、これは返答無用のしるしである。武家生活に就て不分明なことがあると私は毎も先生の教を乞いに上るのだが、このぎろりとくる時は御返辞を頂けないことに定っていた。然しその日は珍しく例外にぶっつかったのである。
「別段に変った事もないと答えるんだな」先生はそう仰っしゃった、「……合戦とか籠城とかいう場合には、武士も農夫も町人も差別はない、備蓄食糧が尽きれば食えない物までも食う、またなにか特に学ぶべき食生活があったとしても、今苦しまぎれにその真似をするような気持ではなんの役にも立ちはしない」
「それはそうですけれども、武家に学びたいという近頃の気風はかなり真剣なものですから」
「それなら、武家の平常に学ぶべきだ。三河岡崎藩五万石の領主に水野忠善という大名がいた、その食事が焼き味噌に菜汁に香物と定っていて、魚鳥を食べるのは一年に数えるほどしかなかった。また下総佐倉の堀田正信は、十二万石の領主でいて常づね稗飯を食べていたという……こういう例は挙げれば限りがない、大名諸侯にしてそういう人が少なくなかったのだから、一般の武家がどんなに質素な食生活をしていたか分るだろう」
「然し注意する必要のあるのは、武家にとっての食生活の質素さはそのことが目的でなかったという点だ、食事は生きることの原動力である、合戦となり籠城となった時うろたえぬようそこを目標として平常のきびしい食生活が行われたのだ、然も一代や二代ではない凡そに云って鎌倉時代以後、戦国の世を通じ経験と歴史とに裏付けられたものだ、決して思いつきや人真似ではなかった。……」