振動魔
本文約17,300字 ・ 読了時間 約35分
あらすじ(AIが作成しました)
社会教育家として名高い柿丘秋郎は、医師の白石博士が開発した画期的な治療法で結核から回復する。しかし、柿丘は恩人の妻である雪子との醜聞に悩み、彼女の堕胎という密かな目的を果たすため、ある物理学教師と結託して自宅に実験室を設ける。本作は、科学的な知識を悪用して他人を破滅へ追い込もうとする男の陰謀と、その正体を暴こうとする探偵・帆村荘六との対決、そして露呈した恐るべき計画の全貌を描く物語である。
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僕はこれから先ず、友人柿丘秋郎が企てた世にも奇怪きわまる実験について述べようと思う。
柿丘秋郎と云ったのでは、読者は一向興味を覚えないだろうと思うが、これは無論、僕が仮りにつけた変名であって、もしもその本名を此処に真正直に書きたてるならば、それが余りにも有名な人物なので、読者は吁ッと驚いてしまうだろう。それにも拘らず、敢えてジャーナリズムに背き、彼の本名を曝露しない理由は――と書きかけたものの、僕は内心それに言及することに多大の躊躇を感じていることを告白せねばならない――彼の本名を曝露しない其の理由は、彼の妻君である柿丘呉子を、此後に於ても出来得るかぎり苦しめたくないからなのである。呉子さんは野獣的な今の世に、まことに珍らしいデリケートな女性である。それをちょっと比喩えてみるなれば、柔い黄色の羽根がやっと生えそろったばかりのカナリヤの雛仔を、ソッと吾が掌のうちに握ったような気持、とでも云ったなら、仄かに呉子さんから受ける感じを伝えることができるように思われる。庭の桐の木の葉崩れから、カサコソと捲きおこる秋風が呉子さんの襟脚にナヨナヨと生え並ぶ生毛を吹き倒しても、また釣瓶落ちに墜ちるという熟柿のように真赤な夕陽が長い睫をもった円らな彼女の双の眼を射当てても、呉子さんの姿は、たちどころに一抹の水蒸気と化して中空に消えゆきそうに考えられるのだった。ああ僕は、あだしごとを述べるについて思わず熱心でありすぎたようだ。