初蛙
本文約3,400字 ・ 読了時間 約7分
あらすじ(AIが作成しました)
古沼のほとりで聞こえる初蛙の鳴き声から、その無邪気な精霊のごとき姿を綴る。あわせて、マアク・トエンの小説に登場する芸達者な蛙や、笛の名人に芸を仕込まれた雨蛙の話を紹介する。さらに、京都で目撃された蛙をすっぽんと偽る男との奇妙なやり取り、大阪で行われた猫供養に触れ、花供養の提言に至るまで、自然の息吹と万物に宿る命への眼差しを随筆としてまとめる。
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一
古沼の水もぬるみ、蛙もそろそろ鳴き出す頃となりました。月がおぽろに、燻し銀のように沈んだ春の真夜なか時、静かな若葉の木かげに立ちながら、あてもなくじっと傾ける耳に伝わる仄かなおとずれ――
「くる……くる……くる……」
と、古沼の底から生れた水の泡が、円く沼の面に浮びあがったと思うと、そのまま爆ぜ割れるような、それによく似た物の音を聞きますと、
「ああ、もう初蛙が鳴いている……」
と、誰でもがすぐに気付こうというものです。
私はあの初蛙の鳴き声が好きです。寒い冬の間のながい夢からさめて、これから思う存分軽噪ごうというその前に、あっちでも、こっちでも、さも四辺の立聞をでも気づかうように、そっと内証で声試しをしているあの音を聞きますと、ちょうど土塊をおし分けて、むっくり頭をもち上げた早蕨か菌かを見るような、無邪気と悪戯っ気とが味わわれます。それは小っぽけな、知恵と元気とに充ちた地の精霊の無邪気と悪戯っ気とです。博識なイソップや、人の悪いアリストファネスが見ていようと、怠け者の小野道風が立っていようと、貧乏詩人の芭蕉庵の主人が聞いていようと、そんな事には少しの頓着もなく、素っ裸の濡れ身のままで柳の枝でぶらんこをしたり、背から腹にかけて砂まみれになったまま、飜斗うって古池に飛び込んだりするのは、この無邪気と悪戯っ気とがさせる業です。蛙にはお腹に臍がありません。それだのに臍ばかしか、おまけに良心までも持っているかのように無遠慮に振舞うのです。地の精霊でなくって何うしてあんな悪ふざけと無遠慮とが出来るものでしょう。大きな口と下っ腹とを御覧なさい。地から生れた食意地の張った大食漢でなくって、誰があんなものを持っているでしょう。実際あの大きな口と、十二人の子供でも生んだらしい、だぶだぶの下っ腹とは、蛙にとっては掛け替のない宝なのです。性格なのです。本能なのです。霊魂そのものなのです。
蛙のあのすばらしい口と腹とについて、マアク・トエンの面白い短篇小説があります。一寸その荒筋を話してみましょう。