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TORENDIA

満願

本文約1,500字 ・ 読了時間 約3分

あらすじ(AIが作成しました)

伊豆三島で一夏を過ごす作家は、怪我の治療で知り合った西郷隆盛似のまち医者と親交を深める。哲学を好み善玉悪玉論を語る医者のもとへは、毎朝、薬を求めて肺を病む夫を持つ女性が通っていた。医者は女性に固い禁忌を守るよう励まし続け、作家は縁側からその様子を見守る。八月の終わり、禁忌が解かれた朝に軽やかに道を歩く女性の姿を目撃した作家が、歳月を経てなお美しく思い出すある女性の物語を綴る。

太宰治

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🎧 満願 / 朗読音声: VOICEVOX:九州そら

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これは、いまから、四年まえの話である。私が伊豆の三島の知り合いのうちの二階で一夏を暮し、ロマネスクという小説を書いていたころの話である。或る夜、酔いながら自転車に乗りまちを走って、怪我をした。右足のくるぶしの上のほうを裂いた。疵は深いものではなかったが、それでも酒をのんでいたために、出血がたいへんで、あわててお医者に駈けつけた。まち医者は三十二歳の、大きくふとり、西郷隆盛に似ていた。たいへん酔っていた。私と同じくらいにふらふら酔って診察室に現われたので、私は、おかしかった。治療を受けながら、私がくすくす笑ってしまった。するとお医者もくすくす笑い出し、とうとうたまりかねて、ふたり声を合せて大笑いした。

その夜から私たちは仲良くなった。お医者は、文学よりも哲学を好んだ。私もそのほうを語るのが、気が楽で、話がはずんだ。お医者の世界観は、原始二元論ともいうべきもので、世の中の有様をすべて善玉悪玉の合戦と見て、なかなか歯切れがよかった。私は愛という単一神を信じたく内心つとめていたのであるが、それでもお医者の善玉悪玉の説を聞くと、うっとうしい胸のうちが、一味爽涼を覚えるのだ。たとえば、宵の私の訪問をもてなすのに、ただちに奥さんにビールを命ずるお医者自身は善玉であり、今宵はビールでなくブリッジ(トランプ遊戯の一種)いたしましょう、と笑いながら提議する奥さんこそは悪玉である、というお医者の例証には、私も素直に賛成した。奥さんは、小がらの、おたふくがおであったが、色が白く上品であった。子供はなかったが、奥さんの弟で沼津の商業学校にかよっているおとなしい少年がひとり、二階にいた。

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