糸車
本文約4,700字 ・ 読了時間 約10分
あらすじ(AIが作成しました)
すすけた茶の間で糸車を回す祖母の姿は、没後四十六年を経た今も鮮明に心に残る記憶である。綿から糸を紡ぐ独特の音やリズム、収穫の楽しさや機織りの風景、草木染めの美しさは、幼い頃の田園生活の追憶を呼び起こす。産業の発展により機械化された現代との対比を通じ、昔の婦人が誇りを持って担った手仕事の喜びや、失われゆく伝統的なものに対する懐かしさと、その再評価の可能性を随筆として綴る。
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祖母は文化十二年(一八一五)生まれで明治二十二年(一八八九)自分が十二歳の歳末に病没した。この祖母の「思い出の画像」の数々のうちで、いちばん自分に親しみとなつかしみを感じさせるのは、昔のわが家のすすけた茶の間で、糸車を回している袖なし羽織を着た老媼の姿である。紋付きを着て撮った写真や、それをモデルにしてかいた油絵などを見ても、なんだかほんとうの祖母らしく思われないが、ただ記憶の印象だけに残っているこの「糸車の祖母像」は没後四十六年の今日でも実に驚くべき鮮明さをもって随時に眼前に呼び出される。
この糸車というものが今では全く歴史的のものになってしまったようである。自分の子供などでもだれも実物を見たことはないらしい。産業博物館とでもいうものがあれば、そういう所に参考品として陳列されるべきものかもしれない。
祖母の使っていた糸車はその当時でもすっかり深く媒色[#「媒色」はママ]に染まったいかにも古めかしいものであった。おそらく祖母の嫁入り道具の一つであったかもしれない。あるいはまた曾祖母の使い慣れたのを大切に持ち伝えたものであったかもしれないのである。とにかく、祖母は自分の家にとついでからの何十年の間にこの糸車の取っ手をおそらく何千万回あるいはおそらくは何億回か回したことであろう。