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TORENDIA

長寿恥あり

本文約590字 ・ 読了時間 約2分

あらすじ(AIが作成しました)

九十歳の尾崎行雄がアメリカへ渡り、日本の国語を英語にすべきだと主張した姿を宮本百合子が記す。著者は、他国の言語を崇拝する姿勢や、自作の和歌を見て満足げに振る舞う尾崎の姿を通じ、民主主義と民族の言葉の関係について鋭く論じる。

宮本百合子

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九十歳の尾崎行雄が、きこえない耳にイヤ・ホーンをつけて、「ちょっととなりへ行くつもりで」アメリカへ行った。九十歳まで生きている人間そのものが、アメリカで珍らしいわけもない。「日本の憲政」の神様とよばれた彼が九十であるところに、何かの意味があったのだろう。

アメリカへ行くとのぼせて、日本人に向っておかしなことをいう日本人は、冬のさなかにサン・グラスをつけて、フジヤマ・スプレンディッド(素晴らしい富士山)と叫んだ田中絹代ばかりではない。池田蔵相もだいぶおかしくなったらしい。尾崎行雄は年甲斐もなく亢奮して、日本の国語が英語になってしまわなければ、日本で民主精神なんか分りっこないと放言しているのには、日本のすべての人がおどろいた。元来民主主義は英語の国から来たものだからだそうだ。

カクテール・キングとあだ名されるバオダイ・ヴェトナム王でさえも、まさかヴェトナム人の言葉が外国語になればいいという「くだ」はまいていない。そういう尾崎自身はワシントンで議会訪問した折、国会図書館長のラップ氏から、同図書館に陳列されている自作の和歌をしたためた色紙を示されて、ニンマリ満足した上眼づかいの写真をうつされている(六月十七日、読売)。

帝政ロシアの貴族たちはフランス語で話した。中国の「台湾ぐみ」も自分の国語を二つもっている連中である。民衆は常にその民族の言葉を話す。〔一九五〇年六月〕

完

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