踊る地平線
本文約27,900字 ・ 読了時間 約56分
あらすじ(AIが作成しました)
モンテ・カアロの博奕場を舞台に、コカイン中毒の女と若いシリア人「23」の男女が、奇妙な共犯関係を築いていく様子を描く。女は売春を装って客を誘い出し、路上で気絶して男を騙す手口で日銭を稼いでいた。ある時、その現場を偶然利用した「23」と結託し、二人は客が警官を恐れて金を置いて逃げる心理を突き、安定した収入を得るようになる。モンテ・カアロの深淵に潜む、異質な男女の共同生活を物語る。
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蜜蜂の群の精励を思わせる教養ある低い雑音の底に、白い運命の玉がシンプロン峠の小川のような清列なひびきを立てて流れていた。
シャンベルタンの谷の冬の葡萄畑をロウザンヌ発大特急の食堂車の窓から酔った眼が見るような一面に暖かい枯草色のテュニス絨毯なのである。それを踏んで、あたしいま香料浴を済ましてきたところなの、と彼女の全身の雰囲気が大声に公表している、中年近い女が来て私の横にならんだ。肘が私に触れて、彼女が言った。
『数は? 何が出て?』
答えるまえに、私はゆっくりとその女を研究した。
近東型の広い紺いろの顔が、八月の地中海が誇る銀灰色のさざなみによって風景画的に装飾されていた。私はきのうモナコの岩鼻から見物したモウタ・ボウトの国際競争を聯想しなければならなかった。しかし私は、そのことは彼女に話さなかった。彼女の臙脂色の満唇と黒いヴェネツィア笹絹の夜礼服とが、いつかラトヴィヤのホテルで前菜に食べた、私の大好きな二種の露西亜塩筋子の附け合せと同じ効果を出していたからだ。私は鋭利な食慾を感じた。そして食慾はいつも私を無言にする。で、私は私の視線を彼女の下部に投げることによって、この、自分の娘よりも若いに相違ない中婆さんを慰楽しようと試みた。
彼女の属する社会層は瞬間の私にとって完全な神秘だった。が、私はいま何よりもじぶんのいる場処をはっきりと認識しなければならない。このモンテ・カアロの博奕場では、どんな神秘も個人の関心を強いはしないのだ。じっさいいかに小さな異常現象へでもすこしの好奇心を振り向けることは、ここの多角壁の内部ではそれだけで一つの「許せない規則違反」なのだ。そこで私はただ聖マルタン水族館の門番のように、黙ったままこころのなかで彼女の足へ最敬礼することで満足したのである。