形態について
本文約2,700字 ・ 読了時間 約6分
あらすじ(AIが作成しました)
文学作品における人物や風景の「形態」を言葉で描き出すことの困難さを論じる。文字による人物描写は実物に及ばず、作家は形態の喚起に常に苦心している。本書は、特に言葉を用いて形態を表現する際の技術的・構造的な難しさに焦点を当て、大作家たちの記述を引用しながら、文学と視覚芸術における表現の相違や、形態的明確さを捉えることの芸術的本質について考察を展開する。
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或る一つの文学作品中の主要人物について例えば五人の画家にその肖像を描かせるとすれば、恐らくは、可なり異った五つの肖像が得られるだろう。この五つの肖像が必然的に似てくるようなもの――実在の人物をモデルとする五つの肖像が互に似てくるようなもの――そんなものは、作品の中には余り存在しないのである。もしもそういうものが存在するとすれば、場所をかえて演劇に於ては、或る人物に扮する俳優は甚しく限定されることになろう。
けれども、五つの肖像について、例えばフローベルの「ボヴァリー夫人」の中のボヴァリー夫人の五つの肖像について、どれが最もボヴァリー夫人に似ているかと、そういうことを論ずることは出来る。この場合、肖像の真実性を決定するのは、云わばその心理的方面にあって、形態的方面にはない。
こういう分りきった事実は、実は、文学作品の中では人物が、形態的に如何に僅かしか描かれていないかを示すものであり、ひいては、逆に、文字を以て形態を描くことが如何に困難であるかを示すものである。目に見えるように描くということを技法の一つとして追求した自然主義文学の、最も精緻な人物描写のどこを取ってみても、その形態的明確さに於ては、実際にただ一目見た一本の手や一本の足や一人の人間には、到底及ばない。
手術を手伝うボヴァリー夫人のスカートの動きは、生々と吾々の目に映ってくる。トルストイの「戦争と平和」の中のボルコンスキー公爵夫人の上唇やそのむく毛は、つよく吾々の目を惹きつける。だがそれは、形態的なそういう明確さが作品の中では宝石のようなものだからであり、更に、それが宝石ともなる所以のものは、形態以上のものにまで引上げられるからである。
文学作品の中で単に形態的明確さをのみ求めるのは、勿論、無意味なことであろう。けれどもそれ以上に、更に困難なことかも知れない。