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TORENDIA

復讐

本文約9,700字 ・ 読了時間 約20分

あらすじ(AIが作成しました)

ある夜、眠りの中で「自分を夢に見ている」という照代の姿を確信した主人公は、その夢を現実のものにしようと画策する。愛人でありながら疎遠になりつつある彼女に対し、眠りの中で交わした不可解な対面をあえて現実世界で再現しようとする心理と、その執着を通じて自身の抱く淋しさと相手への復讐心に向き合う様子を描く。夢と現実の境界が曖昧になる中で、男女の切ない関係性の揺らぎを写し取った一編である。

豊島与志雄

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夢の後味というものは、なにかはかなく、しんみりとして、淋しいことが多い。山川草木、禽獣、幽鬼、火や水、自分自身の飛行や墜落、そういう類のものは別として、人間の夢となれば、ちと、後ろ髪を引かるる思いまでする。

夢に出てくる人々は、私にあっては、たいてい、平素忘れがちな人々である。日常、親しく交際してる人々とか、身辺近くにある人々など、つまり、日常の意識や感覚に触れることの多い人々は、殆んど夢に出て来ない。夢に出て来るのは、いわば遠くに在る人々である。数年前に亡くなった人、音信も途絶えがちな遠方の人、そんなのが、平素の忘却の淵から浮び上るかのように、意外な時に、ふっと夢の中に立ち現われる。口を利くことは殆どない。姿だけが影絵のように見える。そして、その姿が、いや、その存在が、私の心を招き寄せようとする。ここにいますよ、ここにいますよ、と囁きかける。平素忘れられてることに対する、淋しい怨恨、悲しい復讐、でもあろうか。

それらの人々は、私の方を直視することが殆んどない。顔立さえもよくは分らない。しょんぼりと俯向いている。坐っている時には、肩を落して両手を膝についてるようで、立っている時には、両手をだらりと垂れてるようで、そして頸筋には力がなく、首垂れかげんでいる。そのくせ、その全体が、しきりに何かを訴えかけてくる。これはもうそっくり、日本流の幽霊の姿だ。然し、やさしいなつかしい幽霊で、夢がさめてからも、瞼を開くのが惜しまれる。

そのような夢を、私は自分で意識するよりもずっと頻繁に、みているのではないかと思われる。実際、私は夢をみること甚だ少い。少いのは、覚えていることが少いのであって、本当は、意識しないうちに忘れ去るのではあるまいか。夢に出て来てもよい筈の人々はずいぶん多いのである。

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