漫画と科学
本文約4,100字 ・ 読了時間 約9分
あらすじ(AIが作成しました)
人間や人間化された対象を抽象化し、その特徴を誇張して表現する漫画と、複雑な現象から法則を導き出す科学の精神作用の類似性を論じる。優れた漫画は、個別の事象から普遍的な真実を捉え、視覚的な技法を通じて言語化できない観念を伝える。著者は漫画を低俗なものと見なす通念を否定し、優れた観察と分析に基づく漫画が、人間の心理や社会の本質を鋭く描き出し、科学と同様に一種の真理を探求する重要な芸術形式であることを明らかにする。
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漫画とは何かという問に対して明確なる定義を下す事は困難であろう。また漫画とそれ以外の絵画との間に截然たる区劃線を引く事も容易ではない。漫画家自身でもおそらく人によってこれに関する所見を異にするに相違ない。今ここで私がせっかく苦心して定義をこしらえても、それは結局甲某の定義にしかなりそうもない。それで以下に漫画として論ずるものも結局私の頭の中にある漫画というものの概念に過ぎないから、それがどれだけ普遍的であるかは私自身には分らない。
私のいわゆる漫画の対象材料となるものはほとんどすべて人間あるいは人間化されたる非人間である。猿であろうが摺子木であろうが、それが純粋な猿や摺子木として取扱われている間は漫画の領域に這入り得ないように思われる。次にその対象の見方および取扱いの上に如何なる特徴があるかと考えてみると、その対象の形態的ないし心理的の現象の中である特別な部分を抽象してその部分を誇大しあるいは挙揚して表示するというのが一つの顕著な点である。例えば鼻の大きい人の鼻を普通の計測的の大きさの比以上に廓大して描いたり、喜怒の感情の発現を誇張した身振りで示すがごときは、最も月並な慣用手段である。もう少し進んだのになると、鼻や小鼻の曲線のあるデリケートな抑揚をつかまえて、これを少しアクセンチュエートする事によって効果を挙げ、あるいは手足の機微な位置によって複雑な感情を暗示するものもある。猿が馬に乗っているにしてもその姿勢なり態度なりが、乗馬者のある特異な、しかし言葉では云い表わせない点を巧みに表わす事によって、漫画としての価値がきまるように思う。
以上のようなものは、私の考えている漫画の中で最も純粋なものである。そうしてこの種の漫画によって表現された人間の形態並びに精神的の特徴は、一方において特異なものであると同時に他方ではその特徴を共有する一つの集団の普遍性を抽象してその集団の「型」を設定する事になる。こういう対象の取扱い方は実に科学者がその科学的対象を取扱うのと著しく類似したものである。