時計とステッキ
本文約3,500字 ・ 読了時間 約8分
あらすじ(AIが作成しました)
時計を携帯せず、必要な折には他人に時間を尋ねる習慣を持つ筆者が、自身の時計にまつわる経験と、過去に所有した数々のステッキへの愛着を綴る随筆。巴里で強盗に奪われた銀時計の記憶や、病後の散歩を支えた台湾スネエクとの別れ、旅先で出会った人々との交流を回想する。時間を厳格に守れず、常に早すぎる到着を繰り返す自身の気質を省みながら、散策の友であるステッキが辿った運命を、時に滑稽に、時にしんみりと描き出す。
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私は、今、時計といふものを持つて歩かない。時間を超越するほど結構な生活をしてゐる訳ではないが、時計を持つてゐなくつても、どうやら用事は足りるのである。そのかはりどこへ行つても、時間を知りたい時には、時計を持つてゐさうな人に、「いま何時?」と問ひかける。時間をきめて人を訪ねる時など、その家の近所へ辿りつくと、軒並みに薄暗い店のなかへ、それとなく素早い視線を投げて、柱時計のありかを一瞬間に突き止める修練は、いつの間にか積んだ。かういふ時、便利なやうで不便なのは時計屋の店である。なんとまぎらはしき針また針の方向!
それでも、生れてから時計を一度も持つたことがないわけではない。十三にして、おやぢからニッケル側を貰ひ、二十三にして、自分の金で銀側を買つた。それ以来、その銀側を持ち続けてゐた筈だが、いつ、どこで、どうしたのか――ああ、さうさう、これを忘れてゐる法はない。巴里の、ある裏通りの、安下宿の二階で、ある日、病気で寝てゐると、そこへ、瓦斯屋に化けた強盗が、悠々とはいつて来て、いきなり、何か、石ころを袋に填めたやうなもので、熱のあるこの頭を、ガンと擲りつけ、痛いなあと思つてゐるところを、「金、金」と云ひながら、その辺を捜しまはし、化粧台の上にのせてあつた、例の銀時計を剃刀と一緒に持つて行つてしまつたのである。
家主のお神さん、T夫人が、その後、私を彼女の物置に案内して、古い額などを見せた時、「こんなものが……」と云つて、埃の中からつまみ上げたのが、今、私の所有に属してゐる鉄側で、夫人のお父さんが、そのまたお父さんから譲り受けた品物であるといふだけでも、明かにロマンチック時代のあの懐しい面影を伝へてゐることがわからう。
この鉄側は、しばらく、一本の短針だけで、大体の時間を知らせてゐたが、今は、それすら動かなくなつてしまつた。末弟が時計屋に持つて行つたら、大変珍しがるので、そんなに値打がある代物かと思つて、値ぶみをさせてみたら、笑ひながら、値段のつかないほど珍しいものだと云つたさうである。只なら欲しいといふ意味だらう。