久保田万太郎氏著「釣堀にて」
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あらすじ(AIが作成しました)
五冊目の戯曲集に収められた「釣堀にて」は、久保田万太郎の作品群の中では趣の異なる風変わりな一編である。初演時には友田恭助が老人直七を演じ、独特の味わいを見せている。本書は西洋近代劇の伝統を日本的な表現で昇華し、心理と雰囲気の劇を確立した劇作家の軌跡をたどるものであり、他にも「ゆく年」や「ふりだした雪」、「鵙屋春琴」など、作家の繊細な文体と名匠としての矜持が刻まれた戯曲の数々を収める。
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これは久保田氏の五冊目の戯曲集だといふことである。なるほど数へてみるとさうだ。なぜそれがそんなに不思議な気がするかといふと、戯曲界のこの大先輩が、今日まで劇作の筆を執りつゞけ、しかも、量にすると僅にそれくらゐの数しか書いてゐないかと思ふからである。実際、僕は、久保田氏の作品を随分昔から愛読した。その独得の詩的境地もさることながら、先づ第一に感服したのは、氏の戯曲が何人にもまして、西洋近代劇の伝統を渾然たる姿において日本的表現のなかに活かしてゐるといふことであつた。いひ換へれば、日本にはじめて、心理と雰囲気の劇をつくりだし、しかも、所謂、文学の精神に通ずる劇的文体の新しい一つの見本を示したのである。
氏、みづからいふ通り、「作品にも運不運がある」やうである。傑作、必ずしも評判にならない。久保田氏の作品を通じて、僕の好みからいふと、寧ろ小品に優れたものが多いと思ふが、やはり、「大寺学校」に次いで、今度の集に収められた「ゆく年」は、力作であると同時に傑作中の傑作である。雑誌に発表された時は、誰でもさうであるが、ついあわたゞしい読み方をするために、久保田氏の戯曲のリズムに乗つて行けないことがある。耳を澄まさなければ音色の聴きわけ難い調べもある。構成もうますぎるほどうまいし、殊に、お家の芸ではあるが、心理の畳み込みがひときは鮮かで、手馴れた役者で舞台が見られたらと思ふのは僕だけではあるまい。
「ふりだした雪」は、今年の二月、歌舞伎座で新派がやつた。珍しいことだが、やはり僕は見に行かなかつた。新派では、ちよつと違ふのである。
「鵙屋春琴」といふ題で、谷崎氏の有名な小説「春琴抄」の戯曲化されたものがのつてゐる。これは、花柳章太郎のを見た。脚色は谷崎色をはづれてゐると思つたが、それは無理もないことで、花柳の春琴だけは、まだ眼に残つてゐる。読返す必要がある。その他、「好晴」「はくじやうもの」、それに「釣堀にて」は、久保田氏のものとして、ちよつと風変りなところがあり、おやと思ふ人もあらう。友田恭助が老人直七に扮してなかなか味を見せたのはもう、一年、二年になる。