旅の苦労
本文約2,300字 ・ 読了時間 約5分
あらすじ(AIが作成しました)
旅行を愛しながらも、出掛けるまでの臆劫さや、たび重なる手違いに翻弄される旅の道のりを綴る。友人との待ち合わせの破綻や、汽車の乗り間違えによる予期せぬ遠回り、さらには山中での急な嵐への遭遇など、予定調和にはいかない旅先での苦労と神経の浪費を描き出す。計画通りには運ばない、ままならない旅の経験を通して、旅という行為に潜む不確定な要素と、それに伴う苦笑まじりの困惑を率直に叙述する。
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旅行は好きか、と、よく人に訊かれる。私はいつも、生返事をする。好きでないこともないが、さう楽しい旅をしたといふ経験もないからである。好きでないこともないといふのは、旅の空想を私は屡々するし、空想の旅は、一種の解放であるから、心おのづから軽やかならざるを得ぬ。
では、実際に旅をして、なぜ楽しいと思つたことが少いかと云へば、これにはいろいろ理由がある。その理由はあとでつける場合もあるが、第一に、出掛けるといふことが実に臆劫である。前の晩までは大いに勇みたつてゐても、いざ朝になつて、口をあけた鞄をみると、妙に気持がしらじらとする。
駅で切符を買ふことを考へ、汽車の時間はまだ大丈夫かと、飯を食ひながら時計など見てゐると、もう、うんざりしてしまふ。
さういふ時、私の心を励ましてくれるのは、電話のベルである。――さうだ、この音に脅やかされないところへ行くのだ!
先達も、私は、友達を誘つて、二三日新緑の山へ休養に出掛ける決心をした。ちやんと予定の時刻に、上野でその友達と落ちあふ約束をしておくと、その日の朝になつて、電話がかゝり――子供が急病だ。医者に一度見せて、大丈夫だと云つたら出掛けるが……と云ふことであつた。
私は、子供の病気と聞いてひやりとしたが、また一方、やれやれと気がゆるむのを、無理に奮発して支度を整へ、早速彼の家をのぞきに行つた。取次に出た細君は、昨夜の看護疲れをみせながら、子供はやつと楽になつたらしいが、主人は、今朝早くから散歩に出ましてと、やゝ恐縮のていである。なるほど、徹夜をした朝は外の空気を吸いたくなるもので、その経験は私にもある。
「では、さういふお子さんのそばを長くはなれる場合ではありませんから、今度は、私一人で出かけます。何れまた、同道の機会を作りませう。」
といふわけで、そのまゝ上野へ駆けつけるつもりでゐたところ、予定の汽車に間に合ふかどうかあぶない。これに遅れると、信越線の準急は午後になる。軽井沢の奥まで行くのに日が暮れてはまづいから、赤羽まで時間をはかつて電車で行つた。これなら十分間に合ふことに気がついたのである。