言葉言葉言葉
本文約1,400字 ・ 読了時間 約3分
あらすじ(AIが作成しました)
日常の些細な光景や人間の振る舞いを観察し、そこから導かれる多種多様な思考の断片を綴る随筆集である。公園の犬の行動、言葉を発する際の発声の場所、沈黙を保つ青年との時間、庭のコスモスへの水やり、波打ち際の親子など、作者は日常に潜む不可解や愛着、あるいは滑稽さを掬い上げる。また、批評や翻訳といった創作に関わる思索を交え、対立する評価を前にした時の人情の在り方についても冷静な眼差しで考察を重ねている。
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――僕はあなた見たいな女が好きですよ。
――さう? あたしも、あなた見たいな男が好き……。
――へえ、それぢや、入れ代つたらよかつたなあ。
かういふ間違ひは、そんなに稀ではない。
頭のてつぺんから――うしろから――額の生え際から声を出す人がある。
日本の役者は妙な処から声を出しますね。――旧劇では頬のあたりから。新派劇では眼と眼の間から。そして、所謂新劇では、はてな、あれはと、耳の上からでしたね。たしか……。
公園のベンチに腰をかけてゐると、一匹の野良犬が、どこからかやつて来て、ベンチの脚に小便をひつかける。
犬は、してしまふと、僕の方をちらと横目で見て、あわてゝ眼をそらす。さうして、気まりが悪るさうに、向うへ行つてしまふ。
「おい、君、君……」
僕はうつかり、さう呼びかけるところだつた。
批評家が、自ら他人に加へた批評を読み返して見て、常にそれが、恰も他人が自分に加へた批評であるかのやうな感銘を受ける時、その批評家は、みぢめである。
彼は、しまひに、本当のことが言へなくなるだらう。
僕もさういふ一人であるらしい。
「翻訳者の歓びは、発見者の歓びである」
僕がかういふのに対して、友の××は言ふ。「翻訳にも創造がある」と。そして附け加へる。「マラルメやヴアレリイを訳してゐれば、自分も詩を作らうなどといふ欲望は起らない」と。
僕がこの友を畏れ、且つ愛する所以である。
親戚の青年が一人、僕のところにやつて来る――月に一度乃至二度。
彼は、来た時にはたゞ頭を下げる。それから帰る時、「もう帰ります」と云ふまで、黙り続けてゐる――二時間でも三時間でも、時とすると半日。
僕は仕事の手を休めて彼の顔を見てゐる。といふよりも彼が今、何を考へてゐるかを知らうと努める。……彼は何も考へてはゐない。たゞ、悩ましげに、「自己の存在」を見つめてゐるのだ。
彼は僕と話をしに来るのではない。彼には、黙つて彼の前にすわつてゐる人間が必要なのかも知れない。
誰にでもさういふ時がある。