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TORENDIA

文学か戯曲か

本文約4,800字 ・ 読了時間 約10分

あらすじ(AIが作成しました)

築地小劇場が上演したロマン・ロオランの戯曲『狼』を題材に、演劇と文学の関係性、および上演作品の選択基準を論じる。戯曲の価値は演劇の価値を左右するため、優れた上演には優れた戯曲の選択が不可欠であると説く。築地小劇場が掲げる芸術の探究と、実際の上演作品に見られる文学臭が強いという矛盾を指摘し、真に優れた舞台芸術の創造に向けた演劇の本質的価値への洞察を綴る。

岸田國士

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🎧 文学か戯曲か / 朗読音声: VOICEVOX:春日部つむぎ

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人道主義者ロマン・ロオランはまた民衆劇運動の唱道者である。その著書『民衆劇論』はなかなか傾聴すべき議論であつて、当時一部の活動家を刺戟して、危くソフォクレスの時代を夢想せしめたことは事実である。

しかも彼れロオランは、例によつて、一理論家たるに甘んぜず、名著『ジャン・クリストフ』を編んだ如く、こゝにまた近代悲劇数篇を綴つて普ねく世に問うたのである。

此の『狼』はその一つ。

わが築地小劇場は、在来の貴族的乃至ブウルジュワ的芸術を排して「民衆の為めに、民衆によつて」創造せらるべき「芸術」を探究しようとしてゐるらしい。殊に、この新しき芸術は、必ずしも芸術と叫ばれなくてもいゝ。「芸術に代るもの」であつてもいゝとさへ同劇場の首脳は考へてゐるらしい(此の一項は僕一個の解釈である)。芸術と云ふ言葉は既にあまりに貴族的であり、ブウルジュワ的であると云ふのではなからうか。

此のプリンシプルから生れた築地小劇場の事業は、正に刮目に値するものである。何となれば、芸術としての演劇は、やがて、われわれの眼前に新しき表現を以て提示せられ、今日われわれの「夢みつゝある舞台」は、その傍に於ては、小さく、醜く、愚かなるものとなつて、識者の憫笑を買ふに過ぎないものとなり終るであらうから。

僕は、同劇場の第一回公演を観て、聊か卑見を述べて置いた(『新演芸』七月号)。その後、偶々小山内、土方両氏の弁明を聴く機会を得、その結果、僕は今後、築地小劇場とたゞ一点に於て、最も重大なる一点に於て異つた立場にあるべきことを気づいたのである。

なぜ、重大であるか。それは、演劇の本質問題に触れてゐるからである。

「戯曲の価値と演劇の価値とは全然別物である」――「従つて、演劇の価値を戯曲の価値によつて批判してはならない」――「戯曲は文学である。演劇は文学ではない」――かういふ議論が出た。

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