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TORENDIA

癇癪批評

本文約590字 ・ 読了時間 約2分

あらすじ(AIが作成しました)

父親への呼びかけに癇癪を起こす子供の心理を入り口として、日本の演劇に対する自身の苛立ちや評論のあり方を綴る。劇団と呼吸が合わない不全感を抱えつつ、演劇史の一転機を志す者たちの言論や、若手劇作同人同士の応酬が一般に与える影響と、議論の本来の重要性を論じる。

岸田國士

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僕のところの子供は、父親たる僕に話しかける時は、はじめから癇癪を起してゐる。常々、一度や二度呼んだぐらゐで、僕の注意を惹くことは困難だといふことを知つてゐるからだ。「ねえ、パパつたら……」といふ文句を、きまつて頭へつける子供の習癖を、僕は心の中で悲しんでゐる。相手が自分の云ふことに興味がなささうだと思ひ、しかも、それを云はずにをられぬ場合、口調が勢ひヒステリックになる。これは大人にもある。大人げないことだ。

そして、僕自身、屡々、事芝居に関する限り、書くものがこの調子に陥るのである。僕が従来発表した演劇に関する評論乃至感想の類は、どこか日本の劇団と呼吸の合つてゐないところがある。それを、僕が、自分の罪だとは思つてゐないところに、僕の癇癪批評が生れるのである。

何事も急ぐ必要はない。まして、芝居の歴史に一転機を劃するやうな事業が、筆の先でさう易々と仕遂げられるわけはないのである。

劇作同人諸君の言論が、近来、諸所の話題に上り、なかなか盛観であるが、どうもやはり一般と呼吸の合はぬところがあるらしく、従つて、癇癪の反響とも思はれるやうな「怒鳴り返し」が耳にはひる。

若い同士の元気な応酬は、新機運に応はしい光景で、それも結構だが、そのために解る話が解らなくなつては困る。「劇作」の声に耳を傾ける人は、だんだんに多くなりつつあることを信じようではないか。(一九三四・一〇)

完

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