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TORENDIA

三八九雑記

本文約2,000字 ・ 読了時間 約5分

あらすじ(AIが作成しました)

春の訪れを感じる季節の移ろいや、庵での質素な独り暮らしの様子をありのままに綴る随筆。作者は、草木の芽吹きや自ら営む畑の状況、折々に浮かんだ自由律俳句などを通じて、自身の心境や日常の些事を記す。また、知人の出産を祝う記述や、親交のある人々から贈られた書物への感想など、周囲との関わりや文学活動についても触れ、孤独を受け入れながらも静かに日々を生きる姿勢を静謐な文体で描き出す。

種田山頭火

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🎧 三八九雑記 / 朗読音声: VOICEVOX:玄野武宏

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なんとなく春めいてきた、土鼠がもりあげた土くれにも春を感じる。

水のいろも春めいたいもりいつぴき

私もこのごろはあまりくよくよしないようになった。それはアキラメでもなければナゲヤリでもない、むろんサトリでもない、いわば、老のオチツキでもあろうか。

近眼と遠眼とがこんがらがってきたように、或は悠然として、或は茫然として、山を空を土を眺めることができるようになった。放心! 凝心もよいが放心もわるくないと思う。

おかげで、この冬はこだわりなく生きてきた。春になったら春風が吹くでしょう。

終日尋春不見春  杖藜踏破幾重雲

帰来拭把梅花看  春在枝頭已十分

その梅はもう盛りをすぎたけれど、あちらこちらにしろじろと立っている。裏畑の三本、前の家の二本、いずれも老木、満開のころは、一人で観るのにもったいないほどであった。

道べりの二三本、これは若木だが、すこし行くと、ここにも一本、そこにも一本というぐあいで、なかなかのながめであった。こんなところもあったのかと驚くぐらい、花をつけてはじめて、その存在をはっきりさせている。

咲いてここにも梅の木があつた

ここ矢足は椿の里とよばずにはいられないほど藪椿が多い(前のF家の生垣はすべて椿である)。

ぶらぶら歩いていると、ぽとりぽとり、いつ咲いたのか、頭上ゆたかに、素朴な情熱の花がかがやいている。

水音の藪椿もう落ちてゐる

水仙がおくれてやたらに咲きだした。先住者が好きだったのだろう、畑のあちこちにかたまりあって、清純たぐいなき色香を見せている。そんなわけで、仏壇も水仙、床の間も水仙、机の上も水仙です(この花にはさびしいおもいでがあるが、ここには書くまい)。

水仙こちらむいてみんなひらいた

大根と新菊とはおしまいになった。ほうれんそうがだんだんとよくなった。こやし――それも自給自足――をうんと与えたためだろう。ちさはあいかわらず元気百パア、私も食気百パアというところ。

畑地はずいぶん広い、とても全部へは手が届かないし、またそうする必要もない、その三分の二は雑草に委任、いや失地回復させてある。

よう燃える火で私ひとりで

大きな雪がふりだして一人

いたづらに寒うしてよごれた手

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